リード文 リード文
2023年8月23日、中日新聞社最高顧問 大島宏彦さん(89歳)が、お亡くなりになりました。
ご生前は、新聞社・通信社・放送メディア・プロ野球球団などの経営者として、卓越した手腕を発揮され、東海地方の文化・経済のけん引役として尽力されました。
2007年1月から半年にわたり中日新聞夕刊のコラム「紙つぶて」(東京新聞では「放射線」)に掲載された「生かされて今日まで」は、大島さんが新聞記者生活に終止符を打ち会社経営の道に入ってから37年振りに、それまでの半生を振り返り筆を執った随筆です。
自由闊達に題が選ばれた文章からは、“物事に対する感性の豊かさ”から“経営者としての考え方”に至るまで大島さんの素晴らしい人間性に触れることができます。
ラジオ番組「生かされて今日まで」は、この文章の朗読を試みたものであり、お聴き頂く皆さまが これからの生き方を考える際のヒントとなる番組に仕上がりました。東海ラジオ放送㈱では、1985年から2019年までの34年間にわたり大島最高顧問に代表取締役をお務め頂きました。
リスナーの皆さまの今後の人生がより豊かなものになることを祈念しつつ、追悼番組「生かされて今日まで」をお送りします。
大島 宏彦(おおしま ひろひこ)
名古屋市出身
1934年4月26日~2023年8月23日
1957年に中部日本新聞社(現中日新聞社)に入社し、東京支社(現東京本社)経済部記者やワシントン特派員などを経て、1987年に社長、1997年に会長に就いた。2011年からは最高顧問を務めていた。名古屋経済界の要職にも就き、名古屋商工会議所副会頭を務めた1998年~2004年には、愛・地球博(愛知万博、2005年)の準備に尽力した。
1995年~2000年にはプロ野球中日ドラゴンズのオーナー、1996年~2002年にはナゴヤドームの社長を務め、故・星野仙一さんを監督に招聘して、本拠地をナゴヤ球場からナゴヤドーム(現バンテリンドームナゴヤ)に移転。1999年のリーグ優勝を支えた。
このほか横綱審議委員や共同通信社理事会長、東海ラジオ放送代表取締役会長、東海テレビ放送代表取締役、中部日本放送取締役、在名古屋メキシコ名誉領事館名誉領事なども歴任。 地域社会、スポーツ、文化、メディアの振興に努めた功績から、2007年には旭日大綬章を受賞した。
[login]