気まぐれ映画評『007 スカイフォール』 気まぐれ映画評
気まぐれ映画評第10回は、
007生誕50周年記念を飾る
第23作『007 スカイフォール』です。
私は『007』シリーズが大好きで、全作品のDVDを揃えるほどの大ファン。だけれど、ピアース・ブロスナンがボンドを演じていた頃には、奇想天外な秘密兵器があまりに現実離れしてしまい荒唐無稽、苦笑いしてしまうことが増えていた。そこに、ダニエル・クレイグ演じる「6代目」登場。ここ3作品は肉体的強さとボンドの内面にスポットを当て、映画そのものの面白さを取り戻した感がある。
クレイグ=ボンドの3作目だが、相変わらずオープニングから魅せる。「今作もカッコいいね〜」と思っていたら、「老い」が一つのテーマで、スパイは古い、ボンドもその上司Mも煙たがれるようになっていた。わかりやすい敵の存在以外に、身内にもボンドの敵がいるわけだ。この身内に潜んだ敵と思われた人物が、最後にはスパイスになってこの映画に味付けされるのだが。
今作でボンドと戦うシルヴァは、かつてはボンド以上にやり手だった元諜報員。つまり、どちらもMの部下である。両親を早々に亡くしたボンドにとってMは母であり、それはおそらくシルヴァにしても同じ。母をめぐる息子の対立、表と裏の関係にあるボンドとシルヴァ。ボンドは銃を持ったMと共に戦うが、シルヴァは銃を持ってMと頭を並べ、同じ銃弾で死のうとする。歪ん仮想親子の愛憎劇。親子関係という、人間だれしも身近に感じる愛だからこそ、ボンドの内面により深く触れられる気がする。
ボンドカーは懐かしい「アストンマーチンDB5」。これは1964年に公開された『007 ゴールドフィンガー』に登場した一台。Mだけでなく、ボンドに最先端の武器を与えるQを丁寧に描き、ボンドの生い立ちまで掘り下げた『スカイフォール』。「趣味は復活することだ」というボンドのセリフの意味がわかってくる。生誕50年、ボンドは原点に帰り、復活したのだ。