『わたしの日本シリーズ』 日々
ラジオで、テレビでプロ野球日本シリーズを楽しむ日々が続いています。アナウンサー職ですから、日本シリーズはもちろん喋りたい舞台です。そしていまや営業職ですから、日本シリーズ中継を提供していただくスポンサー企業をお願いする立場でもあります(ことしのクライマックスシリーズ、日本シリーズにご提供いただいた各社さま、ありがとうございます)。
わたしが入社したのが1998年。初めて日本シリーズに関わったのは1999年、福岡ダイエーホークスとの戦いでした。この時はまだ実況アナではありませんでしたので、わたしの担当はスコア付け。ナゴヤドーム(当時)で3試合、放送席で先輩アナの横に座り、スコアをつけていました。
次は2004年、西武ライオンズとの日本シリーズ。当時わたしはまだ29歳でした。内心「まだわたしが実況させてもらえる立場ではないだろう」と思っていましたが、第3戦の実況をインボイス西武ドーム(当時)から担当しました。アナウンサーのシフトをつけていた酒井弘明アナウンサーから「大澤くんには第3戦を喋ってもらうことにした。頑張って」と電話で伝えていただいたこと、今でも忘れません。光栄でした。
写真があるのは2006年から。北海道日本ハムファイターズとの第4戦(札幌ドーム)。
SHINJO選手の現役最後のシーズンであり、「稲葉ジャンプ」を放送席で感じた日でもありました。
翌2007年、この年もファイターズとの日本シリーズ。わたしは第5戦を担当し、あの歴史的一戦を伝える幸運に恵まれました。まだ入社10年目、運が良かったとしか言いようがありません。また、記録にも記憶にも残る試合だっただけに、今の自分ならもっと上手に伝えられたという思いもあります。
次は2010年。千葉ロッテマリーンズとの戦い、わたしは第1戦を担当しました。まだブログを始めていなかったですし、スマホで写真を撮るような時代でもなかったので、放送先の写真がありません。日本一になったマリーンズの選手たち。
2011年は福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズ。わたしが担当したのは第4戦。ドラゴンズ無死満塁のチャンスを抑えたホークス「森福の11球」のゲームでした。
3勝3敗となり、日本一になった場合のビールかけに備えて福岡入り。しかし、勝利の美酒を味わうことはできませんでした。
あれから12年、干支ひとまわり。ドラゴンズは優勝から遠ざかっています。いまの自分の立場を考えると、もうわたしが日本シリーズの放送席に座ることはないかもしれません。でも、あの舞台でまた、そして早くドラゴンズが戦ってくれることを心から願っています。
最後に、2006年の写真をもう一度。わたしが当時使っていた携帯電話が写っていました。
懐かしいなぁ。使ってた使ってた。