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直球勝負!大澤広樹

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『与田監督の3年間と答え合わせ』 日々

2018年10月15日、中日ドラゴンズ・与田剛監督の就任記者会見が名古屋市内で開かれました。「名古屋に戻ってくるのは23年ぶり」と話した与田新監督。「このような形でお招きいただけるとは想像していませんでした。私自身が一番驚いている」とも述べていましたが、私も「与田監督」の誕生には驚いた一人です。ドラゴンズからマリーンズに移籍したのが1996年途中。それ以降、それほどドラゴンズとの関わりがあるようにも感じていませんでした。それで私も「そうか、与田さんか、意外…」と感じました。会見の場で与田新監督は「優勝、それだけを目指して戦っていく」と力強く宣言しました。



その日の夕、あれこれ動いてみたら、なんと与田監督が『ドラヂカラ』に生出演してくださることになりました。お願いしておいて言うのもおかしいですが、「マジかっ!?」と驚きました。そして分刻みのスケジュールの中での急遽の出演承諾に対して「ありがとうございます!」と感謝の気持ちでいっぱいになりました。



そもそも私は与田剛選手の大ファンでした。1990年、私が中学3年生の時、部屋には与田選手のポスターが貼ってありました(他に南野陽子さん)。ドラゴンズで活躍したシーズンは短かったですが、本当にかっこよかった。大好きな選手、いつか会ってみたいと思っていました。

初めてお会いしたのは2000年秋。私が入社3年目のときに担当していた『ドラゴンズスペシャルNo.1ジョッキー』という番組のゲストに、与田選手にお越しいただいたのです。この時、与田選手は阪神タイガースを自由契約になったばかりでした。当時の担当ディレクターに「与田さんを呼んでいただけないか」とお願いして、実現させてくれたのです。うれしかったな。何を話したかは覚えていません(笑い)。



その与田さんが、ドラゴンズの監督としてやってきたのです。私は「意外」と言いながら、与田さんがドラゴンズに戻ってきたことに内心ワクワクしていました。優勝してほしかった。いきなり大阪桐蔭高・根尾昂選手をドラフト会議で引き当てて、私の期待値はマックスになりました。





東海ラジオの企画などにもいろいろとご協力をいただきました。「自分が動いてドラゴンズファンに喜んでもらえるのであれば」という思いが伝わってくる監督でした。




与田監督の率いた3年間、5位、3位、5位。昨年は8年ぶりのAクラスにチームを導いた功績は言うに及ばず。それだけに今季は期待されながら、5位という結果で裏切ってしまったというのもまた事実でしょう。順位だけ見れば期待に応えられなかった3年間でした。私はもっともっと選手に対して厳しさを出してよかったのではないか、そして1点への執着心、勝利への執念を見せてほしい、勝つための最善手はほかにあったのではないか。1、2軍の入れ替えは適切だったのか。この投手陣をもってすれば少なくともAクラスには入れたはずだ。そう思っています。

一方で、大野雄大選手の復活、柳裕也選手の一本立ち、先発投手としての福谷浩司選手の育成、リリーフ陣の整備など、与田監督が残してくれた財産もたくさんあります。阿部寿樹、木下拓哉選手などを起用し、レギュラークラスにまで伸ばしたのもこの3年間でした。「若手を起用しない」という声もよく耳にしました。しかし、「高松渡選手には絶対に100打席を与える」と決めて、その数字を達成しました。

ひとつ、与田監督の決断で、これからどういう答えが出るのか私が楽しみにしているものがあります。それは与田監督が指名した「高橋周平選手のキャプテン就任」です。



2019年シーズン前、高橋選手は「チームが盛り上がるようにやっていきたい。難しいことはできない。声を出すのが一番だと思う」と就任後に話した通り、その声をグラウンドに響かせ、」ユーモアを交えながら、彼なりの「キャプテン」を務めていました。

2019年11月14日、秋の沖縄。ドラゴンズの秋季キャンプがお休みの日、与田監督と私は宿舎のカフェで、アイスコーヒーを飲みながら2人でゆっくりとお話しさせていただきました。その中で私が「周平選手のキャプテンは、監督のナイスアイデアだったんじゃないですか? 良かったですね」と聞いた時のことです。いつも穏やかな口調の与田監督ですが、この質問に対してはやや強い口調になりました。「良かったかどうか、もう結論が出せるのかな?」と。

与田監督は「メディアの皆さんが、周平が変わった、声がグラウンドに響いて雰囲気がいい。そう言ってくれるのはうれしい。だけどそれが一年だけではダメだし、これから周平が未来のドラゴンズにどう関わっていくのか、どう貢献してくれるのか。彼が辞める時に初めて、キャプテンにして良かったかどうかがわかると思うよ」と言いました。そう言われ、私は質問した自分を恥じました。私より与田監督は、ドラゴンズの未来をずっと真剣に考えてくれているんだなと、痛感しました。そうです、蒔いた種がいつ花開くか、なのです。私はまだ高橋選手が「つぼみ」くらいの段階で、「良かった良かった」と言ってしまったんです。「高橋周平」という大きな花が花開くのはまだずっと先なのに。「じゃあまたあした」と与田監督と別れた時には、グラスの中の氷はすべて溶けていました。穏やかに見える与田監督の心の内には、ドラゴンズへの愛、熱い思いがありました。与田監督と私の貴重な時間でした。

今季、高橋選手は苦しい、悔しいシーズンになりました。今季の総括で与田監督は「数字に関してはそれは悔しいシーズンだったと思う。『2021年があったから』という日が必ずくる。それくらい周平にとっては大事な一年だった。数字の良しあしだけでなく、そう思う」と、高橋選手への思いがあふれるコメントを残していました。

そうです、「高橋周平選手のキャプテン就任」の答え合わせはまだまだ先です。そして与田監督、3年間お疲れさまでした。ありがとうございました。

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