『初実況から21年』 日々
元ニッポン放送のアナウンサーで、数々の「名実況」を生み出した深澤弘さんが、9月8日にお亡くなりになりました。訃報に触れた私よりかなり年下のディレクターから「大澤さんと深澤さんは面識があるんですか?」と聞かれました。実際にお会いしたことは1、2度だと思います。横浜スタジアムだったはず。特に何を話したとも記憶になく、また周りから「あの深澤さん」と言われても、私が不勉強でピンとこなかったのが正直なところです。いま思えば、学ぶことがたくさんあっただろうにと悔やまれます。
そしてきょう9月10日、私が初めてプロ野球を実況した日から21年になりました。写真は2000年9月5日「中日新聞」の夕刊です。甲子園球場の阪神対中日。暑い日でした。
子どものころからの夢だったプロ野球の実況を21年も担当させてもらい、ありがたい限りですし、その幸運に感謝するばかりです。
2017年、大阪・MBSラジオの開局65周年記念特別番組「ラジオ 65人の仲間」という企画がありました。その65人のうちの一人が深澤さんでした。聞き手は「深澤さんの実況に憧れて、こんなカッコいい野球実況がしたい」とアナウンサーになった馬野雅行(MBSアナウンサー)さん。今でもこの放送を録音したものが私のIPhoneにはあります。改めて聴きなおしてみました。ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄さん引退試合の実況の裏話、そしてアナウンサー生活を振り返って「53から58歳のころがベストだったね」とも。私もまだまだこれからです(笑い)。ちなみに深澤さんは「一番うまく放送できたのは昭和天皇の大喪の儀(大喪の礼、大喪儀」と話していました。スポーツ実況ではなかったのですね。
やはり放送局ごとに「色、カラー」というものがあって、東海ラジオでいえば犬飼俊久アナのスタイルが、東海テレビでいえば吉村功アナのスタイルがなんとなく受け継がれているところというのは必ずあると思います。そして深澤さんの影響は、私は直接学ぶことこそありませんでしたが、深澤さんの下の世代のアナウンサーからわたしたちの世代に、そしてさらに下の世代が気づかないうちに受けているのかもしれません。プロ野球実況22年目のスタートは9月15日の広島戦です。そういえば2000年9月15日も実況していました。