『死球の数に現れる!?』 日々
きょうの『大澤広樹のドラゴンズステーション』は鹿島忠さんとお送りしました。そして「ドラゴンズテレフォン」には1985年から90年までドラゴンズで投手としてプレーした杉本正さんにご出演いただきました。私は田尾安志さんとの交換トレードの際に杉本さんの名前を知り、そして1988年10月7日、ナゴヤ球場でのスワローズ戦、ドラゴンズが優勝を決めた一戦の先発投手であったこともよく覚えています。
2歳年下の鹿島さんとは現役時代、ともに一軍でプレーしていただけあって、面白いお話がいくつも聞けました。死球の数の話、面白かったな~。ライオンズ時代の5年間でわずか死球は4。それがドラゴンズ時代の5年間で13。ホークス時代の3年間で5。特に星野仙一監督が就任した1987年は6死球! 笑っちゃいますね。それだけ厳しくインコースを突く「星野イズム」が浸透していたのですね(笑い)。
一緒になって笑っていた鹿島さん、通算で26死球です。星野監督が指揮を執っていた1989年や90年シーズンは、死球の数がそれぞれ6、7。多すぎませんか!? リリーフ投手でしたがイニング数はそれぞれ105.2、77.2回と多かったとはいえ、2年で13死球。これも星野イズム??