『松坂大輔・引退』 日々
西武ライオンズがきょう、松坂大輔選手の今季限りでの引退を発表しました。
私が初めて松坂選手を生で見たのは1998年8月22日、阪神甲子園球場の内野スタンドでした。夏の甲子園決勝です。横浜高・松坂選手が投げている姿を一目見たいと、急遽向かいました。そしてこの大舞台でノーヒットノーランで優勝を決めるという、なんという華々しさ。これはすごいぞ、と。1999年4月7日、日本ハム対西武。松坂選手のプロ初登板では、今では懐かしいラジオの遠距離受信で在京局を雑音の中、聴いていました。そこからの活躍はご存じの通り。私の中でもひときわ輝くスター選手です。
その大スターが2018年、中日ドラゴンズにやってきました。
報道陣をシャットアウトしての入団テスト、そして即日合格。直前の3年間で1試合しか投げていない松坂選手でしたから、私は「本当に投げられるのか?」とかなり疑っていました。しかし、沖縄キャンプで投げている姿を見て、私の疑念は期待へと変わりました。もしかしたら…。
キャンプ後の3月7日。松坂選手は東海ラジオにやってきました。CM収録に続き、インタビュー収録。これが松坂選手と私のファーストコンタクトです。倫世夫人が私と大学、学部、学科すべて同じの98年卒業生という話で松坂選手を驚かせるとともに場を温めて、あっという間にインタビュー時間終了を迎えました。
4241日の勝利を挙げた2018年4月30日DeNA戦。実況を担当できてうれしかったです。18年シーズンは6勝を挙げカムバック賞、オールスターゲームにも出場。私も心踊らされた、虜になった一年でした。
しかし、2019年春、沖縄で松坂選手にアクシデントが。ファンに右肩を引っ張られて違和感が発生したと、2月11日に報じられました。ただでさえ不安がある右肩、そこから調整が遅れて、このシーズンはわずか2試合の登板に終わってしまいました。
そして10月4日、中日を去ることが決まりました。入団するときも、退団するときも、たくさんの人に囲まれるスターでした。
私が忘れられない松坂選手の姿があります。2019年2月17日、沖縄から名古屋へ向かう飛行機。私が登場するその便に、松坂選手が乗っていました。右肩を痛めた後、沖縄から名古屋に戻り検査をして、その結果などを沖縄でチームに報告、そして名古屋に戻るというタイミングで、同じ便に松坂選手と私は乗り合わせました。席は離れていましたが、私と目が合った松坂選手は軽く会釈をして、再び視線を窓の外に向けました。その時の松坂選手は、帽子を目深にかぶり、マスクをして、大きな体を窮屈そうに丸めて、イヤホンをして、とにかく周りに「気が付かれないように」としているように見えました。誰もが知っている「松坂大輔」。その華やかさはもちろんですが、注目を浴び続けるスターの辛さを見た気がしました。
「平成の怪物」もさすがに体も心も疲れたことでしょう。ゆっくり休んで、また元気な姿を野球界で見せてください。松坂選手、お疲れさまでした。中日での二年間、近くで松坂選手を見られて、伝えられて、私は幸せでした。