『お前の実況はわかりやすい』 日々
実家の本棚から一冊の本を持ってきました。『三冠へ向かって視界よしー杉本清・競馬名実況100選』(杉本清著、日本文芸社、1995年)です。関西テレビのアナウンサーで、競馬で数々の名実況を残してきた杉本アナ。当時、アナウンサー志望の大学2年生だったわたしが何度も繰り返し読んだ一冊です。何年ぶりに読み返したのでしょうか。
調べてみると、この本を出版したときに杉本アナは58歳。定年間近だったんですね。わたしが競馬、競馬実況に興味を持ったのがこの年だったんです。なので、この本に紹介されているレースや名実況は、ほとんどがわたしにとっては初めてのものばかりでした。「バックストレッチの向こう側にはコイノボリが泳いでいます。はたして、このコイノボリを見る余裕があるかどうか、ビワハヤヒデ、二番手であります」(平成6年・天皇賞春)、これがわたしが一番好きなフレーズでしょうか。その他にも有名な「菊の季節に桜が満開。菊の季節に桜。サクラスターオーです」(昭和62年・菊花賞)や、「そろそろ後ろの馬が動かないと、前の馬が笑います」(昭和62年・阪神大賞典)など、いま読み返しても数々の名実況に心震えました。
「前の馬が笑います」というのは、「前の馬が有利になります」を間接的に表現しています。杉本アナは「これは一種の言葉遊び」であり、「ラジオだとだめですが、テレビだから言える言葉かもしれません」と自身で解説しています。でも、本当にそうでしょうか。もしかしたらラジオでも使えるかもしれない、直接的、現実的でないジワッとくる表現を追求していくのもアナウンサーとして面白いかもしれません。
数年前、北山靖アナに「大澤の競馬実況はうまいんだけれど、ただ優等生なんだよな…。なんかもうひと工夫ないかな…」と言われたことをはっきりと覚えています。かといって急に一工夫できるわけでもないのですが、杉本アナの本を読み返して、改めてそのことを思い出しました。
「あとがき」がまた心に響きます。あらかじめ「極めつきのフレーズと悦にいる」コメントを用意したところ「何の反響もなくガックリ」し、「作り物はだめ、自己満足にすぎないと思い知らされ、それ以来は出たとこ勝負」。「実際にその場に身を置いて、どうひらめくかということ。実況はひらめきの勝負」と書かれています。さらにそのためには「日頃の勉強が不可欠」で、「いろんなことが血となり肉となって、初めてひらめくのではないだろうか」と。そして「心がけていることは、見ている人にわかりやすく」「お前の実況はわかりやすいーこのひと言を目指してあとひと踏ん張り」と結んでいます。当時58歳、名を成したアナウンサーがさらに上を目指してとマイクに向かう熱き思いを目にしたことで、新年早々わたしの心に火がつきました。