『久米宏にはなれずとも』 日々
きょうは6日ぶりに出社。「ステイホーム」が続いていましたが、ゲームばかりしているわけにもいきません(笑い)。以前から読みたいと思いながら先延ばしにしていた一冊をやっと読みました。そしてこれからの自分の進み方、仕事への姿勢など多くの学びがありました。『久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった』(世界文化社、2017年)。きょうはニュースを2度、担当しましたが、久米宏気分だったかもしれません(笑い)。
私は子どものころから「アナウンサーになってドラゴンズ戦の実況をしたい」と思っていましたが、今のようにインターネットなどありません。情報がなく、そもそも名前がわかるアナウンサーはほとんどいませんでした。それこそ就職活動で「好きなアナウンサー」という定番の質問にも困るくらいでした。そんな私にとって久米さんといえば、数少ない知っているアナウンサーあり、『ザ・ベストテン』『久米宏のテレビスクランブル』『料理天国』『ぴったしカン・カン』、そして『ニュースステーション』と、ずっとテレビの中のかっこいいアナウンサーでした。
『ニュースステーション』が始まったとき、久米さんは41歳。今の私より若かったんですね。これだけでも力の差を痛烈に思い知らされてショックです…(笑い)。この本を読んだことがきっかけで、かつての有名なアナウンサーについてウィキペディアで調べまくってしまいました。大好きだった逸見さんが亡くなったのは、私が大学受験に向かっていたころ、48歳でした。私が48歳になるまであと3年強しかないんです。悔しかっただろうな…。「おっかけマン」松宮一彦さんが自死したのは45歳の時。私が45歳になるのはことしの9月じゃないか…。古舘さんが『報道ステーション」を担当したのは49歳の時。一時代をなしたアナウンサーの皆さんが、自分と同じ年齢のころに何をしていたか、真剣に調べて、真剣に考えました。コロナ禍で、できることは制限されていますが時間は無駄にできません。
「誰もなったことがないアナウンサー」を目指した久米さんの仕事に対する姿勢。番組への強烈なまでのこだわり。番組を成功させる、そして人気番組を維持していくことは本人も、周りも大変に苦しい時間だったかもしれませんが、「プロ」を感じさせてくれる方ですし、憧れてしまいます。
久米さんのインタビューへのこだわり、私がインタビューをするときにいつも思っていることというかこだわっていることと重なっていて、ひとりでニヤニヤしてしまいました。うれしい。
結論。やっぱり久米さんってすごい。あんな大アナウンサーにはなれずとも、やはり放送に対する情熱やこだわりは、それが青臭くても徹底的なまでに持ち続けたいと改めて思いました。不自由な毎日が続くからこそ、改めて自分のアナウンサーとしての今後を考えるいい時間でした。久米さんがフリーになり、事務所を選ぶときに言われた「久米さんは50歳になったとき、どういう生き方をしたいですか?」という問いについて、私も考えてみるにはちょうどいい頃かもしれません。