『ディープインパクト死す』 日々
きょうの『大澤広樹のドラゴンズステーション』は仁村徹さんをお迎えしました。「思い出のあの場面」では31年前、1988年7月中日大洋戦・仁村兄逆転サヨナラ適時打を振り返りました。現代なら「仁村薫」「仁村徹」とスコアボードに表記されるでしょうが、当時は「仁村兄」「仁村弟」と表記され、アナウンスもされていました。てっきり私は仁村兄弟のこだわりなのかと思ったら、仁村さんからは「なんか最初からそうだったよね」との答えで、理由はわからないという(笑う)。不思議なものですよね。11度のサヨナラ勝ち、8ゲーム差をひっくり返しての逆転優勝。当時、私は中学1年生でしたが熱いシーズンでした。
さて、きょうはクラシック3冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)などG1・7勝を挙げた名馬ディープインパクト(牡17歳)が死んだというニュースが飛び込んできました。競馬ファンでもある私ですが、ディープインパクトが無敗で3冠を達成した2005年の菊花賞当日、その瞬間を京都競馬場で見届けるという幸運に恵まれました。
単勝1.0倍という驚異的なオッズで迎えた菊花賞では、三冠達成の瞬間を見届けたいという競馬ファンの期待に見事に応えて、2着に2馬身差をつけて優勝。あの日の競馬場の興奮や歓声は忘れられません。私にとっても初めて目の前で見た三冠馬誕生の瞬間でした。
14戦12勝、誰もが間違いなく最高の競走馬と評するであろうディープインパクト。今でも私は2006年の凱旋門賞での3位入線は信じられません(後に失格)。この馬で凱旋門賞が勝てないなんて、と。2005年の有馬記念では、競馬に絶対はないという厳しさを懐の痛みと共に教えてもらいました。そしてまさかこんなに早くこの世を去ることになるとは思いもよりませんでした。引退後は種牡馬としても大成功していただけに、これからもその遺伝子を伝えていくものと思っていました。
ディープインパクトのレースを見返しています。素晴らしいレースばかりです。出走すればいつも断トツの人気、点数を絞ってしまうので当てた、儲けた記憶はあまりありません(笑い)。でも間違いなく、日本競馬の宝であり、最高の名馬だったでしょう。その血は産駒が受け継いでいきます。ディープインパクト、お疲れさまでした。