『朝倉、引退』 日々
きょう、
ナゴヤ球場で
中日・朝倉健太選手の引退記者会見が
行われました。
2000年9月10日・阪神対中日(甲子園)、
私のプロ野球実況デビューの日、
リリーフ登板したのが
当時19歳、新人の朝倉健太選手でした。
仁村徹2軍監督に鍛えられ、
そのボールのスピード、威力から
水谷啓昭投手コーチが
「キャッチボールをするのが怖い。この感覚は与田剛以来だ」という取材から得たネタを、
放送の中で紹介したことをハッキリと覚えています。
入団3年目、すり足投法で二桁勝利。
その後はケガに泣きましたが復活、
与田剛さんのような豪速球ではなく、
シュートボールを武器にゴロの山を築く大人の投球で、
4度の二桁勝利を挙げるような投手になりました。
きょうの会見で朝倉選手はこう言いました。
「(報道陣にとって)取材したくない選手だったと思う。頑張りますしか言わないし。でも、それはわざとです」と。
その通りです。
私も取材の際には何度となく
「おいおい、なんだそれ…」と思いました。
ただ、関係が悪かったわけでもなく、
シーズンオフには
私のガッツナイターズと
朝倉選手のチームで
草野球対決もしました。
1勝1敗だったかな?
そのとき、私の車を見て
「大澤さん、岐阜ナンバーじゃないですか!? 岐阜なんですか??」と。
朝倉選手と私は、
学年は違いますしお互いに転校もしていますが、
ともに岐阜市立徹明小学校に通っていました。
2000年1月、
GUCCIのスーツに身を固めた18歳の朝倉選手の入寮を
取材したことを思い出します。
あれから16年が経ちました。
朝倉選手、本当にお疲れさまでした!!