『やりました〜っ!』 日々
きょう11時から
名古屋市内のホテルで、
巨人・中日で17年間プレーした
小田幸平さんの
引退記者会見が行われました。
【小田幸平さんのコメント】
「ジャイアンツに入団し、獲ってくれた長嶋監督、それから原監督、堀内監督、そこから中日にチャンスを頂いて、落合監督、高木監督、谷繁監督、自分を育ててくれた6人の監督にありがとうございましたという気持ちです。中日球団には、引退試合とかいい話をいただいたが、選手続行の一点張りでここまでやってきました。オファーもなくて、ここまでか、と決断しました。中日を辞めてから、いろんな方にお世話になったことにすごく感謝しています。いまはスッキリしています。17年?今まで自分に携わってくださった方に感謝しています。レギュラーを獲らずに17年もやれた、自分でもこの17年をこれからの誇りにしたい。1年目のキャンプで一軍に合流したときに、場外ホームラン打つ人ばかりで、「ここに入ってきてはいけなかった」という気持ちになり、ブルペンも桑田さん、斎藤さん、槙原さん、すごい人ばかりだった。桑田さん、清原さん、この2人には野球のすべてを教えてもらった。きのうも桑田さんから電話をもらいました。桑田さんから「キャッチングがうまいね」と言われ、守りで生きていこうと決めました。一緒に7年間、自主トレもやらせてもらった。清原さんには同じ関西出身ということで、一年目からかわいがってもらい、本当に感謝しています。二人がいなかったらここまでできなかったです。
中日では優勝できた。名古屋に来てからは優勝が(一番の思い出)。あと、中日がちょっと明るくなったこと。それが僕の役割だったので。第二の人生でも野球に携わっていきたい。野球に関していろいろ勉強していきたい。違う気持ちで沖縄に行けます。沖縄イコール苦しい、というイメージだったので。中日にはいい選手がいっぱいいる。あとはグラウンドでだしてほしい。優勝パレードを違う方面から見てみたい。9年前、不安と期待で名古屋に来た。東海地区の皆さん、中日の皆さんには本当にお世話になりました。ありがとうございました。見かけたら声をかけてください。(同い年の小笠原コーチ、英智コーチに対し)二人の引退試合のときにはボロ泣きしたのに、自分の最後の打席には涙も出なかった(笑い)。あの二人とはいろいろ話をしました。二人とも照れ屋だからね、「お疲れさま」とだけ言われました。あの二人が中日を強くしているので安心です。頑張ってほしい。山本昌さんの最年長勝利記録がかかった日にマスクをかぶった。僕の方が100倍緊張しましたよ。僕が辞めた後も、就職先を探してくれたり、毎日のように「どうするの?」と電話をかけてくれた。感謝しています。独立リーグから指導者としてのオファーはあったが、僕はプレーしたかったので。今後は解説の仕事が来てくれたら一番いい。背伸びすることなく伝えられてらいいなと思います。山本昌さん、和田さんはイジりたい(笑い)。スタンドから一度も野球を観たことがないから観てみたい。変装でもして。スタンドから野次ります。もう一度(指導者として)ユニフォームを着たいという気持ちは当然あります。目標でもあり、夢でもある。いろんな勉強をしたい。辞めた人の憧れじゃないのかな。お笑いとかの路線には興味はない。野球に携わっていきたい。」
会見の締めくくりは、
報道陣からお願いされての「やりました〜っ!」です。
17年間、お疲れさまでした。
ありがとうございました。
そして
これからも変わらず球場でお会いすることでしょう。