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直球勝負!大澤広樹

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『野球人・大豊泰昭』 日々

大豊泰昭さんが急性骨髄性白血病のため、18日22時41分、亡くなったとの連絡を受けました。私が入社した年に阪神に移籍した大豊さん、初めてお会いしたのは中日に復帰した2001年のことでした。

沖縄・春季キャンプ。北谷球場で、入社3年目の私が大豊さんにインタビューです。私もまだまだ若手だったので、子どもの頃から見ていた中日のホームラン王と対面するというのはやはり緊張しました。名刺を渡し、インタビューを始めようとした時、大豊さんが言いました。「喉が渇いた。いま、練習中で小銭を持っていない。大澤クン、僕にジュースをおごってくれないか」。大豊さんとふたりで大笑い。わかりました、ごちそうしますと、ふたりで炭酸飲料を飲みながらの収録。私の緊張もほぐれ、終始和やかに進んだことをいまでもハッキリ覚えています。

それ以来、私のことを「大澤親分」と呼び、球場で会うたびにその大きな手で握手してくれた大豊さん。愛ある毒舌、という表現になるのでしょうか、ハッキリした物言いで、それが原因で誤解を招いたことも多々あったようですが、友人を連れて「大豊飯店」に行っても、私の友人たちに気を遣って話しかけ笑わせてくれるのが大豊さんでした。2003年か04年か忘れましたが、東海ラジオ『ガッツナイター』のゲスト解説で、一緒に放送席に座ったこともありました。

昔の写真がありました。



この写真は2010年10月9日、大豊飯店でロケをしたときの一枚です。白血病が再発し、妹さんから骨髄移植を受けて退院したのがこの写真の約1カ月前。元気な大豊さんに会えて嬉しかったと同時に、退院したばかりでこんなに働いて大丈夫なのかと心配にもなりました。でも、この大きな大きな大豊さんに、元気そうな大豊さんに、この後再び闘病生活が待っているとは想像できませんでした。

前妻の急死、白血病の発症・再発、娘さんがタカラジェンヌに、そして再婚。大豊さんの人生はまさに波乱万丈。「宝塚を観にいっても娘がどこにいるのかわからないよ」とよく笑っていました。2011年3月には大豊飯店を閉め、岐阜県・お千代保稲荷参道にお店を出した大豊さん。それからは顔を合わせることが減りました。顔でも見にいこうと思いながらついにその機会もなく、昨年9月、治療に専念するために店をスタッフに任せて休養したと聞きました。また関係者から大豊さんの状況を聞き、とても気がかりでしたが…。

いまでも「大豊泰昭オフィシャルサイト」で、休養する直前の大豊さん直筆のメッセージが見られます。「野球人/大豊泰昭」といつもサインしていた大豊さん。夢の続きは天国で。

大豊さん、ありがとうございました。

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