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直球勝負!大澤広樹

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『子どもの体力』 日々

きょうは久しぶりの早朝野球の予定でしたが、深夜の雨のために中止。それでも一度は朝4時に起きなければいけないのが辛いところです。二度寝してからの、我が子との水泳教室。以前は水泳教室から昼食はファミリーレストランで、という流れだったのですが、最近は「ハッピーセット食べる!」と必ず言い出します。マクドナルドの「ハッピーセット」。おもちゃが魅力的なんですよね。


『長崎あれこれ』 日々

きのうまで1泊2日で長崎に行ってきました。この2日間、ブログにアップしていない写真をまとめて載せます。1日目、雨が上がり、雲も霧も出ず、予想外に世界新三大夜景、日本新三大夜景の「稲佐山からの夜景」を観にいくことができました。本当に素晴らしい夜景で感動しました。



雨が降っていたために稲佐山展望台でのお客さんは、20時30分出発のバスツアーに19時59分に申し込んだ私を含め15人程度。ゆっくり見学、撮影できました。




ちなみに到着したときには大雨、どうしたものかと思いながらおとといのブログにアップした、青春18きっぷのポスターにも採用された千綿駅へ。その後、向かったのはボートレース 発祥の地・大村競艇場です。ここなら雨を気にせずに楽しめます(笑い)。



長崎と言えばカステラ。おみやげには長崎心泉堂「幸せの一号艇カステラ」。舟券も好調でした(笑い)。



2日目。軍艦島ツアーに参加するものの上陸できず。となると市内観光へ。私は長崎に来たのが大学3年、1996年夏以来になります。23年ぶり。グラバー園は現在、旧グラバー住宅が保存修理工事中で観られないとのことなので見送り。すぐ隣の大浦天主堂へ行きました。



13時過ぎになり、お腹が空きました。新地中華街まで歩き、さだまさしさん御用達の江山桜へ。特上ちゃんぽんを注文。なんと1,620円(税込)。普通のちゃんぽんが二杯食べられます。でもさすがさださんが愛する味です、メチャクチャおいしかった!




さて、路面電車にも乗ってみます。ちなみに全区間130円。向かった先は…。



眼鏡橋。先日、名城公園で大きなカメに会いましたが、きょう眼鏡橋でも階段を降りると大きなカメが待っていました。助けた覚えはないのですが…。



1634年にできた眼鏡橋。ちなみにSNSで話題のハートストーンも見つけられました。まあオッサンがインスタグラムにアップするほどのことはありません(笑い)。




眼鏡橋の次に向かうのは、坂本龍馬が好きな私は学生時代に訪れたこともある亀山社中跡。「坂をずっと登ったよなぁ…」という記憶はありましたが、こんなにキツかったのは歳のせいでしょう。龍馬通りという名の坂道を登り続けて10数分で到着。ここには「龍馬のぶーつ像」という人気撮影スポットがあります。1995年に作られた像ですが、このブーツは靴のまま足を入れることができ、ここで腕を組んで長崎市内を一望すれば龍馬や海援隊士たちの気分が味わえます。



「日本を今一度洗濯し候」の気分です。



再び坂を下り、路面電車で市街地へ。創業慶応2年「長崎吉宗(よっそう)」で元祖茶碗むしを、と思っていたのですが、暑さ、疲労でまったく食欲が出ず断念。食べてみたかったのですが、これまた歳です。そろそろ帰りの時間が迫ってきますが、天気が良くなったこの日にもう一度、1日目に行った千綿駅で写真を撮りたいと思い、向かいました。








列車の本数が少ないのでなかなか納得する写真は撮れませんでしたが、大村湾の夕日はとても美しかったです。ギリギリだと思い、大村駅から空港へタクシーで向かいましたが、飛行機の遅延が結局55分。もう一本、遅い列車まで粘れたなぁ〜。それにしても楽しく旅をさせてもらった二日間でした。

『ああ軍艦島』 日々

いま長崎空港にいます。名古屋への飛行機が遅延、ラウンジでコーヒーを飲みながら、radikoで巨人中日戦を聴きながら、ブログを更新しています。

きょうの目的は、世界文化遺産・軍艦島への上陸です。私はひとつでも多くの世界遺産を観ておきたいと思っています。軍艦島は正式名称を「端島」といい、その形が軍艦土佐に似ていることからそう呼ばれるようになりました。南北に480メートル、東西に160メートル、東京ドーム1.5個分の小さな島に最盛期では5,300人(当時の東京都の9倍の人口密度!)が住んだ海底炭鉱の島です。1974年に閉山、以降無人島になりました。廃墟の島・軍艦島。見学を楽しみにしていたのですが、結果から書きますと上陸できませんでした。残念。軍艦島に上陸するには港から出ているツアーに必ず参加しなければいけません。そして、出航したとしても、軍艦島に上陸できるかは波の高さや天候によります。特に7月は上陸率は低いということも調べていましたし、天気が良いのですがきょうは波が高いのも予報でわかっていました。



順調に軍艦島に近づきました。出航して約45分、軍艦島に接近します。ゆっくりと周回するので船からみんなカメラを向けて撮影しています。まさに廃墟、映画『007 スカイフォール』で「デッド・シティ」のモデルになった軍艦島、こうして近づくとまさにデッド・シティでした。ちょっと波が高いけれど、上陸できるかな…。



下の写真がもっとも軍艦らしく見える位置から撮ったもの。ここに5,300人が住んでいたなんて。観たいなぁ、上陸したいなぁ。



しかし、波は収まりません。しばらく待機していたのですが、写真からもわかるように波が高く、その上、桟橋はそんなに立派なものではないために危険度が高いのです。天候には勝てません。仕方なし。



ああ、軍艦島が遠ざかっていく…。



外観に関してはゆっくり写真を撮ることができたのでまずまず満足しているのですが、やっぱり観たかったなぁ、軍艦島。

そしてさらに15分、搭乗便が遅れるというアナウンスがありました。

『またまた旅行中』 日々

残り少なくなった長期休暇ですが、またまた旅に出ております。どこでしょうか〜(笑い)!? こちらも雨雨雨ですが、梅雨時期ですから仕方なし。



これだけ雨が降ると行き先に悩みます。



晴れていたらここでいい写真が撮れただろうなぁ…なんて思いながら、1時間に一本のローカル線を撮影しました。






雨は止んできましたが、夜景は厳しいかも…。さて、どこでしょうか〜!?

『松原敬生の夜はこれから』 日々

先日、実家でカセットテープを探しました。そして見つかりました。私が入社した一年目のプロ野球シーズンオフ、『松原敬生の夜はこれから』(「夫」と記されていますがこちらが本名なので間違えて入力していたようです…)というワイド番組で、「大澤広樹の失礼いたしました」というコーナーを担当していたときのものです。



ボクシングジムに通いスパーリングをしたり、名古屋銀行サッカー部や岡崎学園バレーボール部の練習に参加したり、南知多グリーンバレーでスカイコースターやバンジージャンプをマイクを付けて実況したりと、いわゆる体当たりレポートのようなコーナーです。まだ私も若かった(笑い)。



6月末をもってアナウンサーを引退した松原敬生さんと私の、東海ラジオの番組での接点は『松原敬生の夜はこれから』くらいだったかなと思います。もちろん、2013年の私たちの結婚披露宴にもお越しいただいています。



本当は6月30日の最後の放送も顔を出したかったのですが、長期休暇で家族旅行中だったために断念しましたが、radikoで放送の様子は拝聴いたしました。体調を崩されてからというものの明らかに声の張りがなくなり、声量が落ち、「松原さん、しんどいだろうなぁ…」と思いながら聴いていたので、引退されるとの報を受けたときに「アナウンサーとしてのプライドが許さなかったのだろうな…」と思いました。番組改編期の9月末までは続けたかったはずですが、それを本人が断念したわけですから。最後までアナウンサーであり続けた松原さんでした。



こんなことを書くべきではないのはわかっていますが、私は一時期、松原さんや天野良春さん、蟹江篤子さんら東海ラジオの名物アナウンサーの皆さんたちに「冷たい人たち」という負の感情を抱いていました。1998年、アナウンサーとして入社し右も左もわからぬ私の研修担当は、アナウンサーの先輩である松原さんや蟹江さん、天野さんでした。しかし皆さんそろってワイド番組を連日担当するなかで多忙極まり、研修とは名ばかりで、私は当時の「1スタホール」で誰に教わることもなくただただ一人で発声練習をするだけの日々でした。他局の同期のアナがしっかりとした研修を受けてデビューしていくなか、自分の置かれた状況が悔しくて悔しくて、ある先輩の前でもう辞めたいと悔し涙を流したこともありました。

もちろん私も今ではそんな感情はまったくありません。むしろ、私も同じようにワイド番組を毎日担当する立場になり、この状態で研修なんでできないと思います。私や森アナの苦労が活かされたのか、今はきちんとした研修制度ができています(はず?)。

それよりも最後に書きたかったのは、定年を過ぎ、いつまでたっても空いているスタジオで発声練習を兼ねて新聞を音読する松原敬生さんのプロの姿勢です。何もしなければ年齢とともに声量が落ち、滑舌が甘くなります。そうならぬように日々鍛錬されていた松原さん。誰もいない、見ていないところで練習するのが新人もベテランも、アナウンサーには必要なことなのかもしれません。新聞を音読する松原さんの姿、目に焼き付いています。

ドラゴンズが大好きな松原さん。社内で私の姿を見つけると「きょうはどうかね?」「きのうは悔しかったなぁ」と話しかけてくる松原さん。これからもきっと『ガッツナイター』を聴いていてくれることでしょう。私もいつまで喋れるかわかりませんが、アナウンサーを辞める日まで、日々鍛錬の気持ちを忘れずにマイクに向かいます。松原さん、お疲れさまでした。

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