『野球人・大豊泰昭』 日々
大豊泰昭さんが急性骨髄性白血病のため、18日22時41分、亡くなったとの連絡を受けました。私が入社した年に阪神に移籍した大豊さん、初めてお会いしたのは中日に復帰した2001年のことでした。
沖縄・春季キャンプ。北谷球場で、入社3年目の私が大豊さんにインタビューです。私もまだまだ若手だったので、子どもの頃から見ていた中日のホームラン王と対面するというのはやはり緊張しました。名刺を渡し、インタビューを始めようとした時、大豊さんが言いました。「喉が渇いた。いま、練習中で小銭を持っていない。大澤クン、僕にジュースをおごってくれないか」。大豊さんとふたりで大笑い。わかりました、ごちそうしますと、ふたりで炭酸飲料を飲みながらの収録。私の緊張もほぐれ、終始和やかに進んだことをいまでもハッキリ覚えています。
それ以来、私のことを「大澤親分」と呼び、球場で会うたびにその大きな手で握手してくれた大豊さん。愛ある毒舌、という表現になるのでしょうか、ハッキリした物言いで、それが原因で誤解を招いたことも多々あったようですが、友人を連れて「大豊飯店」に行っても、私の友人たちに気を遣って話しかけ笑わせてくれるのが大豊さんでした。2003年か04年か忘れましたが、東海ラジオ『ガッツナイター』のゲスト解説で、一緒に放送席に座ったこともありました。
昔の写真がありました。