『アトランチスの謎』(1986年4月17日発売) ファミコン部屋
きょうクリアするレトロゲームは
『アトランチスの謎』(サンソフト)。
このソフト、
実は当時はプレーしていません。
おもちゃ屋さんのディスプレイに流れる
メインタイトル画面の音楽を何度も何度も聞き、
(この音楽は好きです)
「このソフト、ほしいなあ…」と思いながらも
我慢した一本です。
しかし、
いまやダウンロードで500円、
我慢の必要がありません!
ほしかったこの一本がついに手に入りました。
全100面、
「あのスーパーマリオを超えた!!」
「待ちに待った超ウルトラ・アドベンチャーゲーム!!」
というキャッチコピーで発売された『アトランチスの謎』、
確かにステージ数は超えています(笑)。
難しい、難しすぎるぞ!
100面もあると、どの扉とどの扉がつながっているのかわからない、
ジャンプするタイミングも、ちょっとずれると飛びすぎてやられてしまう。
鳥の糞にあたるだけでやられてしまう。
武器は小型爆弾だけ。
なんとか攻略サイトを見ながら
ファイナルステージの100面へ。
しかし、10面で「☆」を取ると無敵になって、
一気に難易度が下がります。
あっさりクリア。
エンディングらしきものはこれだけ(笑)。
師匠の救出がこのゲームの目的ですが、
その師匠が『いっき』の主人公・ごんべでした。
で、「アトランチスの謎」って結局なんだったの?
『日本馬の挑戦は続く』 日々
日本時間の昨夜、
オルフェーヴル号&キズナ号が
ヨーロッパ最大の競走のひとつ、
フランス・凱旋門賞に出走しました。
1969年、スピードシンボリ号から
これまで14頭が挑んだ凱旋門賞、
あのディープインパクト号が勝てなかったときには
もう無理なのかと思いましたが、
昨年はオルフェーヴル号があわやの2着。
その経験を生かしての再挑戦、
「今年は勝てる!」と思っていました。
そして今年の日本ダービー馬、キズナ号。
最強の布陣を敷いたと言ってもいいでしょう。
しかし…
壁は厚く、高かった。
フランスの3歳牝馬・トレヴ号に完敗、
オルフェーヴル号は2着、
キズナ号は4着。
私はテレビを呆然と眺めるのみ。
でも、挑戦は続くのです。
私が初めて海外で競馬を観たのは、
1997年のこと。
香港・シャティン競馬場。
1990年中頃から
日本馬の海外挑戦が盛んになり、
95年にはフジヤマケンザン号が香港国際カップで勝利、
ホクトベガ号、ライブリマウント号、
シーキングザパール号、タイキシャトル号、…、
海外競馬が一気に近づいたころでもありました。
この日、
香港にはエイシンサンサン号、
シンコウキング号、
そして
あのサイレンススズカ号が
出走していました。
『器』 日々
きょうのナゴヤドームは
とにかく報道陣、関係者が多かった。
試合前から疲れてしまうくらい。
もちろん、
皆さんのお目当ては
きょうで27年間の現役生活を終える
ドラゴンズの山﨑武司選手です。
私も実況アナウンサーとして、
きょうは勝敗よりも「山﨑武司」の
人となりを伝えることに重点を置き、
放送に向かいました。
山﨑選手の
現役生活最後は空振り三振。
それもまたよし。
引退セレモニーを用意してもらえる選手など
本当に一握りしかいません。
きょう、
山﨑選手には涙がありませんでした。
汗だくになりながら、
後輩への愛、ドラゴンズへの愛に満ちた
素晴らしいあいさつでした。
「ドラゴンズに
選手として戻ってこられるなんて奇跡だ」と言った2年間、
結果だけ見れば、
山﨑選手が期待に応えたとは言えないかもしれません。
でも、
練習中、
グラウンドに姿を見せただけで
空気を変えるそのオーラは
山﨑選手にしかありません。
「器」が違うのです。
きょうの放送の中で、
私は山﨑選手のことを
「毀誉褒貶の激しかった選手」と言いました。
良くも悪くも、
私にとって、
そしてドラゴンズファンにとって、
さらにはアンチにとって、
山﨑選手はなにか気になる存在でした。
そのすべてを受け止める「器」が、
山﨑選手にはありました。
きょう、
グラウンドを一周する姿、
とてもカッコよかったです。
またいつの日か、
グラウンドの空気を一変させる存在感を
味わえたら幸せです。
それができる人は限られているのですから。