『稲葉さん、僕はあなたの教え子です』 日々
昨夜、帰宅すると箱詰めの梨が届いていた。毎年、この時期になるとおいしい梨を送ってくださるその方との出会いは、亡くなられた稲葉光雄さんとゴルフをご一緒したことがきっかけだった。私と同じ梨が、稲葉さんのご自宅にも届いたはずだ。でも、稲葉さんの口に入ることなく、お供えに変わってしまうとは。
僕は稲葉さんのことが好きだった。思い上がっているわけではないが、稲葉さんもきっと僕のことを気に入っていてくれたと思う。稲葉さんのご子息と私は、同じ98年に慶大を卒業していることもあり、言ってみれば自分の子のような感覚だったのかもしれない。何度も食事をご馳走になったし、下手な私を誘ってくれてゴルフもご一緒させてもらった。私も稲葉さんと話をしたいがために、試合がなく、報道陣もほとんどいない練習日や遠征日にナゴヤ球場に行った。稲葉さんも、僕を見つけると遠くからでも大きな声で「大澤さ〜ん!」と手を振って呼び寄せた。その声はいまでもはっきりと耳に残っている。稲葉さんも僕も野球が大好きで、なかなか話は終わらない。「大澤さんと話しているときが一番楽しいわ」といつも言ってくれた。嬉しかった。また、多くの選手が私たちの会話に加わってくれた。これも稲葉さんの人柄だ。先日、ある質問をしたときに「さすが大澤さん、よくそこに気がついたね。コーチになれるよ」と褒められたときには、「稲葉さんに認められた!」と誇らしい気持ちになった。たった2か月前のことだった。
6月15日、稲葉さんに話があると呼ばれた。今年に入ってから不整脈がひどく、心臓の手術をすると告げられた。「心臓ですか?」と私もさすがに心配になったが、稲葉さんは「簡単な手術だから99%大丈夫。でも、場所が場所だから、大澤さんには話しておこうと思ってさ」と笑いながら話した。選手には秘密、一部の関係者しか知らない稲葉さんの心臓の手術。7月10日、入院前日もナゴヤ球場にいた稲葉さんに私は会いにいった。稲葉さんは私の手を取り、自身の心臓に持っていってポンポンと叩いた。「これで大丈夫。さようなら」と笑っていた。もちろん「さようなら」は冗談で、手術後数日して、稲葉さんはグラウンドに戻ってきた。8月2日付のブログに掲載したような、元気な姿で。
稲葉さんは、自分の寿命についてよく話す人だった。「いつまで生きられるかな」というようなことを、よく言う人だった。これにはわけがある。稲葉さんは3人兄弟だが、おふたりともいわゆる「早死」だった。お兄さんが50台後半でお亡くなりになり、稲葉さんも「その年齢になるのが恐いんだよ」と言っていた。その年齢を過ぎたとき「これで当分死なない」とホッとしたそうだ。手術後も「あと20年くらいは生きられそうだ」と言っていた。ひと月も経たずにこんな最悪な日が来てしまうとは、誰にも想像できなかった。
もうひとつ。稲葉さんは「野球解説者」としてのプライドが高い人だった。ご自身がラジオ・テレビの解説担当でなくても必ず球場に来て、スコアを記入する。とにかく中継を聴く・観る。そして「◯さんはいい解説をしていたね」「◯さんは勉強不足」と感想を言ってきた。そんな稲葉さんも、解説者としての自信をつけるまでは時間がかかったようだ。2002年、稲葉さん17年ぶりの野球解説復帰の日、実況は僕だった。先発は山本昌選手。稲葉さんの教え子と言ってもいい山本昌選手だけに、稲葉さんもいろいろ思い出話などを準備してきたのだが、山本昌選手がメッタ打ちに遭い序盤KO。何も言うことがなくなってしまうようなワンサイドゲームからの解説者人生のスタート。あれから何度も僕たちはコンビを組み、彰子夫人が放送を聴いて感想を言い、(私が言うのはおかしいが)稲葉さんは素晴らしい野球解説者になった。稲葉さんは「大澤さんに助けてもらった」といつも言うが、いやいや、僕たちこそ助けてもらい、勉強させてもらった。
今だから言ってしまうが、稲葉さんはもう来年はユニホームを脱ぐつもりだったようだ。体力的なこと、健康面のことがあったのかもしれない。「大澤さんと野球中継をするのが楽しみだよ、ホント」と、会うたびに、本当にいつも会うたびに言っていた。ナゴヤ球場の2軍戦、ネット裏でチャートをつける稲葉さんに「大澤さん、ここ」と言われ、必ず隣に座らされた。「解説の練習をしないと」と言って。残念ながら、その日は来なかった。
ここまで読んでくださった方はお気づきかもしれない。稲葉さんは、自分の息子と同級生で、27歳下の私のことを「大澤さん」と言う。それが稲葉さんだ。最後に話をしたのは7日火曜日、携帯電話で。内容はどうでもいい、バカバカしい話。あれだけ野球の話をしてきたのに、最後の会話があんな話とは。テレビ愛知高木アナと3人で焼肉をご馳走になりながら、延々と下ネタを話し続けた僕たちの最後の会話には、野球の話は似合わなかったか。あの日は稲葉さんと過ごした、最高に楽しい夜だった。
15日水曜日、中日対巨人。稲葉さんの葬儀のその日、僕は実況担当です。天国にまで届くような大きな声で実況します。稲葉さんが「最高の投球フォーム」絶賛するエース吉見一起選手が、稲葉さんをきっと唸らせるはずです。
稲葉さん、ありがとうございました。「早く結婚して、ウチの近くに住め!」と言われていたのに、実現できず申し訳ありませんでした。僕はプロ野球選手ではありませんが、間違いなく稲葉さんの教え子です。