シーズン終了 info
9月24日に地元での最終戦、明日10月7日のマツダスタジアム広島戦で
ドラゴンズは今年のシーズン終了です。
今年もガッツナイター、ガッツナイタースペシャルをお聴き頂き本当に
ありがとうございました。
東海ラジオではセ・リーグのCSファーストステージ第1戦、第2戦と
ファイナルステージ、日本シリーズの全試合を中継しますので
是非、お聴き下さい。
ドラゴンズが出場するなら盛り上がりますが、今年も叶わず残念です。
さて、セ・リーグは歴史的な大混戦となりましたが東京ヤクルトが優勝を
果たしました。
オールスターゲームの時点で全6チーム貯金なしという異例の展開。
それもこれも交流戦でセ・リーグ各チームがこてんぱんにやられたのが
原因ですが、クライマックスシリーズでどこのチームが勝ちあがっても
「セ・リーグの方が強い」ところを見せてほしいものです。
ヤクルトは優勝後のビールかけを神宮球場のグラウンドで行いました。
91年の広島以来24年振りのことだそうです。
優勝した後はペナント授与、共同記者会見など公式行事がいろいろと
ありますからスタンドで待っていたお客様は随分待たされる格好に
なりましたが、14年振りの優勝でしかも今まで関係者のみしか見ることが
できなかったビールかけが見られるとなれば、それほど長い待ち時間では
なかったかもしれません。
実はスワローズが前回優勝した2001年は、9月11日にアメリカ同時多発テロが
発生したため、ビールかけは自粛されました。
従ってビールかけ経験者は監督、コーチのみ、しかも皆さん現役時代ですから
時の流れを感じます。
ビールかけの模様は録画で見ましたが中日にも在籍していた選手会長森岡の
ユーモアたっぷりの挨拶で幕を開け、大いに盛り上がっていました。
因みに我らがマスコット、つば九郎もビールかけに参加して、選手から総攻撃を
受けていました。
まさに「美酒」ですからどれだけ攻撃されてビール、日本酒をかけられても
本当に幸せだったそうです。
私は99年ドラゴンズが優勝したときにビールかけの中でインタビューをしました。
今回の模様を見ているとその時の記憶が鮮やかによみがえってきました。
来年はドラゴンズがビールかけができる事を祈りつつ。
つばちゃんのビールかけの様子をご覧下さい。

今年、夏ののしっぽ飾り info
梅雨明け前は「いつ太陽を拝めるの?」と言いたくなるくらい
毎日厚い雲に覆われていましたが、特に今週に入ってからは
猛暑が続きうだるような毎日です。
こうなってくると「少しは涼しくならないの?」という気分になります。
全く勝手なものですが・・・。
オフコースの歌詞に「夏は冬にあこがれて 冬は夏に帰りたい」という
一節がありますが、まさにその通りですね。
さて、先日神宮球場に出張し、つば九郎大先生に再会しました。
ここ数年は尻尾につける飾りを季節によって変えていますが
今年の夏バージョンがこちら
夏らしく浮き輪を手に持つ海水浴バージョンと
神宮名物「夏のび〜はな(花火)」バージョン。
共にファンの方が手作りしたものだそうです。
神宮球場の花火は夏休み期間中、5回終了時に300発が
打ち上げられます。
時間にするとほんの2〜3分ですが、打ち上げ花火を見ると
なんとなく涼しい気分になります。
神宮に野球を見に行かなくても神宮外苑周辺からは見えるはずです。
この夏、東京へ行く予定がある方、ミニミニ花火大会見物も予定に
加えてみては?
しかしドラゴンズも景気良く花火のように打ち上がってくれればいいのですが・・・
更新をしないまま3ヶ月(真っ青) info
大変ご無沙汰になってしまいました。
ブログ用に写真は撮っているのですが、ついつい
日々の忙しさにかまけてしまいまして…。
大澤ANは毎日更新しているわけですから
言い訳でしかありませんね。
申し訳ありません。
さて、前回の更新後に撮った写真はおいおい
ご覧頂くとして、今回は最新のものをご紹介します。
自動車学校です。
ご覧いただけるように、名古屋市緑区にある
名鉄自動車学校です。
こちらに7月16日にお邪魔しました。
何をしに行ったかというと
中日新聞で戦後70年の特集を組むそうで
私が7年前にプロデュース、制作したラジオドラマ
「渾身のストライク 名古屋軍名投手 石丸進一」について
制作者の話しが聞きたいという依頼を頂き
記者さんと共に日本プロ野球発祥の地である鳴海球場跡、
名鉄自動車学校を訪問した、という次第です。
ここは日本で初めてのプロ野球公式戦巨人―金鯱軍戦が行われた場所です。
1958年にグラウンドをそのまま自動車学校として利用する形で
球場としての役目を終えています。
私が作ったラジオドラマは、ドラゴンズの前身である名古屋軍のエースとして
活躍し、徴兵された後航空隊配属となり、1945年5月11日に神風特攻隊の
一員として出撃、帰らぬ人となった石丸進一さんの一生を描いたものです。
今のようなフランチャイズ制が出来る前の戦前のプロ野球はどのチームも
どこの球場でも試合をしていたので石丸さんもこの場所で投げていた、という
ことで、ゆかりの地で取材をという話しになりました。
今回は名鉄自動車学校のご好意で、突然の訪問にもかかわらずいろいろと
普段見られない、入ることができない場所まで案内して頂きました。
上の写真は球場のスタンドをそのまま利用している教室です。
この上に上がらせてもらいましたが、スタンドの上から見ると
練習コースが見渡せ、球場特有の形をしていることがよくわかります。
ここはかつて一塁側内野席だったところです。
向かい側には
やはりかつてスタンドだった建物が残っています。
こちらは三塁側内野席だった場所。
この裏側にはかつて出入り口として使われていたアーチが残っているそうです。
そして練習コースの中にひっそりとこんなモニュメントがあります。
球場として使われていた時代の写真から測量して位置を特定して
設置されたホームベースです。
石丸さんがこのベースめがけて剛速球を投げていたかと思うと
感慨深いものがありました。
石丸さんは戦死したプロ野球選手で唯一人神風特攻隊で亡くなっています。
改めて平和の尊さ、野球ができる幸せを感じずにはおれませんでした。
アポなしの急な訪問にも拘らず対応して頂いた名鉄自動車学校の方、
本当にありがとうございました。
因みになぜ突然の訪問になったかと言うと…
記者さん、このモニュメントが敷地の外にあって誰でも見られると
勘違いしていたからでした。