更新をしないまま3ヶ月(真っ青) info
大変ご無沙汰になってしまいました。
ブログ用に写真は撮っているのですが、ついつい
日々の忙しさにかまけてしまいまして…。
大澤ANは毎日更新しているわけですから
言い訳でしかありませんね。
申し訳ありません。
さて、前回の更新後に撮った写真はおいおい
ご覧頂くとして、今回は最新のものをご紹介します。
自動車学校です。
ご覧いただけるように、名古屋市緑区にある
名鉄自動車学校です。
こちらに7月16日にお邪魔しました。
何をしに行ったかというと
中日新聞で戦後70年の特集を組むそうで
私が7年前にプロデュース、制作したラジオドラマ
「渾身のストライク 名古屋軍名投手 石丸進一」について
制作者の話しが聞きたいという依頼を頂き
記者さんと共に日本プロ野球発祥の地である鳴海球場跡、
名鉄自動車学校を訪問した、という次第です。
ここは日本で初めてのプロ野球公式戦巨人―金鯱軍戦が行われた場所です。
1958年にグラウンドをそのまま自動車学校として利用する形で
球場としての役目を終えています。
私が作ったラジオドラマは、ドラゴンズの前身である名古屋軍のエースとして
活躍し、徴兵された後航空隊配属となり、1945年5月11日に神風特攻隊の
一員として出撃、帰らぬ人となった石丸進一さんの一生を描いたものです。
今のようなフランチャイズ制が出来る前の戦前のプロ野球はどのチームも
どこの球場でも試合をしていたので石丸さんもこの場所で投げていた、という
ことで、ゆかりの地で取材をという話しになりました。
今回は名鉄自動車学校のご好意で、突然の訪問にもかかわらずいろいろと
普段見られない、入ることができない場所まで案内して頂きました。
上の写真は球場のスタンドをそのまま利用している教室です。
この上に上がらせてもらいましたが、スタンドの上から見ると
練習コースが見渡せ、球場特有の形をしていることがよくわかります。
ここはかつて一塁側内野席だったところです。
向かい側には
やはりかつてスタンドだった建物が残っています。
こちらは三塁側内野席だった場所。
この裏側にはかつて出入り口として使われていたアーチが残っているそうです。
そして練習コースの中にひっそりとこんなモニュメントがあります。
球場として使われていた時代の写真から測量して位置を特定して
設置されたホームベースです。
石丸さんがこのベースめがけて剛速球を投げていたかと思うと
感慨深いものがありました。
石丸さんは戦死したプロ野球選手で唯一人神風特攻隊で亡くなっています。
改めて平和の尊さ、野球ができる幸せを感じずにはおれませんでした。
アポなしの急な訪問にも拘らず対応して頂いた名鉄自動車学校の方、
本当にありがとうございました。
因みになぜ突然の訪問になったかと言うと…
記者さん、このモニュメントが敷地の外にあって誰でも見られると
勘違いしていたからでした。