古葉竹識さんの思い出
ガッツナイターでも解説をして頂いた、カープ初優勝から第1期黄金時代を築いた名監督、古葉竹識さんが亡くなったことがつい先ほど(11月16日午後)一斉に報じられた。
お世話になった方がまた一人、お亡くなりになってしまった。
古葉さんと言えば、小2の時のカープ初優勝の監督。子供の私にとっては神様のような存在だった。
その古葉さんと実況と解説という形でご一緒に仕事をする日が来るなどとは、当時の私には想像すらできないことだった。
初めて古葉さんと組んだ日は、心臓が飛び出しそうになり、初実況の時よりも緊張したことを昨日のことのように思い出す。
広島の人にとっては、市民球団として支えながら「セ・リーグのお荷物」と揶揄されていたカープを初優勝に導き、
常勝チームに育て上げた古葉さんはやはり特別な存在で、脳梗塞で既に病床にあった父が「古葉さんと一緒に中継した」と報告した際、半分麻痺した顔で満面の笑みをうかべた姿が目に焼き付いている。
古葉さんは中退されたとはいえ(のちに学位を授与され卒業された)専修大学の同窓で、しかも私が広島出身ということもあってちょくちょく食事をご一緒するなど、なにかと目をかけて頂いた。
そんな中、一番の思い出は仙台での食事会だ。
まだ楽天が誕生する前、何年かに一回ドラゴンズは仙台の宮城球場(今の楽天生命パーク宮城)で公式戦があった。
レポーターで出張していた私に、新聞の論評でいらっしゃっていた古葉さんが「試合が終わったら食事に行こう」と
誘って頂いた。
試合が長引いたためお目当てのお店は閉まっていたが「やっぱり肉がいいな」とおっしゃり、焼き肉店にご一緒した。
既に何度か中継や食事をご一緒し過度な緊張はなくなっていたが、目の前にいるのはあの古葉さん。
しかし、仙台という日常ではない土地での二人っきりということもあり聞きたくても聞けなかった話題を次から次へと伺った。
衣笠さんの連続試合出場記録が途切れた時のこと、いつもベンチの後方でテレビカメラで映すと体半分という位置に立っていたわけ、噂で聞いていた鉄拳制裁のこと…。
表に出す話しではないのでその内容については伏せるが、質問のひとつひとつに、ニコニコしながら丁寧に答えて下さった。
この日から古葉さんとの距離がぐっと縮まった気がする。
その後、東京国際大野球部監督就任でガッツナイター解説を辞されてご一緒する機会はなくなってしまったが、
大学でもその手腕を遺憾なく発揮されチームを優勝に導くなど、正に「名監督」と呼ぶにふさわしい方だった。
一線を退き、大学の名誉監督になられてからはその動静を見聞きすることがなく、コロナもあって心配していたが突然の訃報に接することになってしまった。
ご冥福をお祈り申し上げます
古葉さん、貴方に教えて頂いた数々のこと、私の血となり肉となっています。
本当にありがとうございました。
どうぞ安らかにお眠りください。 合掌