七宝送信所 その3 info
さて、新送信所は旧送信所のすぐ隣に建てられました。
屋上からは旧送信所を見渡せます。
今回の建て替えは、老朽化もさることながら
耐震化、津波対策が大きな目的だったので
新しい建物は床を地面から2m50cm上げてあり
建物中央に丈夫な基礎があるほかは壁もなく
柱だけの構造になっています。
これはあま市のハザードマップで、この地区の
津波予想が2mとなっているため万一津波が発生しても
浸水しない、また瓦礫で建物にダメージが出ないために
このような設計になっているそうです。
旧送信所もかさ上げはしてありましたが高さに随分差があります。
草が覆い茂っていて地面からの高さがいまいちわかりにくいですが
同じ屋上の高さがこれだけ差があるというところでご理解下さい。
さて、屋上から真東をみるとこんな光景です。
霞んでわかりにくい写真で恐縮です。
アンテナの向こうに名古屋駅のタワーズが見えます。
かつて本社から送信所へ音声をマイクロ波で飛ばしていた際
タワーズ開業で障害となったため、タワーズの屋上に中継局を
設置して、本社→タワーズ中継局→送信所と電波を飛ばしていました。
今は音声送信は光ケーブルに変わったためマイクロ波は使われていませんが
タワーズが電波を送る際にちょうど電波をさえぎる形となったことを改めて
実感しました。
今日もこの大きなアンテナから皆さんに向けて1332KHzの電波が
新しい送信所から送られています。
より安定感を増した東海ラジオの放送、今後も宜しくお願い致します。
七宝送信所編 終わり
七宝送信所 その2 info
七宝の新送信所見学の続きです。
いよいよ完成したばかりの新しい送信所に入りました。
玄関ホールを入ってすぐのところに設けられたのがこちら
新しいアナウンスブースです。
まだ備品その他そろっているわけではありませんが
私にとって本当になつかしかったのがこの机です。
「アナテーブル」と呼ばれていた机で、原稿が読みやすいように
斜めに作られ、机に当たったときにノイズが出ないよう
クッション材が張られています。
このテーブルは今IDC大塚家具ショールームになっている
旧社屋時代、ホールを備えていた第1スタジオ、第2スタジオの
アナウンスブース(ホールの隣に設置された狭いスタジオ)と
深夜生放送を制作していた第7スタジオに置かれていました。
新社屋に移転する際、どこのスタジオにあったものかはわかりませんが
七宝のアナウンスブースで使うために運んできたそうです。
実に10年以上の時を経ての机との再会でした。
さて、送信所には万一停電した場合に備え、大型の非常用発電機が
備えられています。
今回の建て替えで発電機もリニューアルされました。
それがこちら
スウェーデンのVOLVO製。
とてつもない大きさです。
機械を一通り見学した後は屋上へ。
屋上に出ると
防水シートを色違いでうまく利用して描かれた「1332」の文字。
技術部の説明だと、googleの衛星写真でばっちりわかるようにという
本気なのか冗談なのかわからないような話し。
まだ写真がありますが長くなったのでさらに次回。
東海ラジオ七宝送信所 info
去る5月19日、東海ラジオの電波を出す七宝送信所に新しい送信所が完成し
開局以来55年に渡り電波を出し続けた旧送信所からの切り替え作業が
無事終了しました。
ラジオを聴いてくださっている方々には何の変化もありませんが
放送事業者にとっては一大イベント。
テレビで言えばデジタル化で名古屋テレビ塔から瀬戸のタワーに
電波を出す場所が変わったことくらいの大きな変化です。
5月末、社員を対象にした見学会があり、私も行って来ました。
真新しい新送信所の壁に燦然と輝く東海ラジオのマークが出迎えてくれました。
まずは長年の役目を終えた旧送信所から見学開始です。
大規模災害などで、東海ラジオ本社から放送が出来なくなったときに備え
送信所には「アナウンスブース」と呼ばれる小さなスタジオが設置されています。
旧送信所のアナウンスブースで見つけたのが上の写真にある「Bベロマイク」。
私が入社した24年前でも既に珍しいマイクとなっていて、実際に放送に使われていたのは
ニュース専用のスタジオだけでした。
新社屋に移るのを機に、ニューススタジオで使われるマイクも最新のものに更新されたため
久しぶりに目にしました。
送信所切り替えまではマイクスタンドに取り付けられていたそうですが
スタンドは新送信所のアナウンスブースで使うため既にお引越し。
マイクだけが机に置いてあったので手に取って記念撮影。
このマイクは音を感知する部分が紙で出来ています。
入社仕立てのころ「このマイクは雑に扱うと紙が破れてだめになる」と
技術部の重鎮から念を押されたことを思い出しました。
さて、机の上にはもうひとつ
1971年2月といいますからまだ私が3歳のときに作られた
「地震発生時におけるアナウンス」
43年の長きに渡りこのアナウンスブースに置かれていた訳ですが
使われることがなくて本当によかったと、しみじみ感じました。
写真結構撮ったので、ご紹介も兼ねてまた次回。
教科書で info
最近のことは物忘れがひどくなってきましたが、子供のころの記憶は
昨日のことのように鮮明に覚えていたりするものです。
さて、先日弊社が所属するNRN系列のプロ野球中継局が集まっての会議が
静岡で開催されました。
各局持ち回りでシーズン中毎月一回の定例会議ですが、静岡での開催は
実に8年ぶり。
8年前はまだ私はこの会議に出席していなかったので、初めて静岡放送さんへ
お邪魔しました。
あらかじめ場所を調べると、住所が「登呂」となっています。
登呂、そう、小学校の社会科教科書で学んだ弥生時代の遺跡です。
聞くと静岡放送さんから歩いて10分ほどの距離。
会議終了後、文化放送H氏、STVラジオA氏と三人で向かいました。

三人とも登呂遺跡を訪ねるのは初めて。
まるで子供のようにテンションが上がります。

「必殺 ねずみ返し」
そういえば学研の付録で高床式倉庫の模型作ったよね、などど
会話も弾みます。
ふと見ると見覚えのあるシルエットが二人。
ニッポン放送のH氏とS氏でした。
お二人も我々同様「登呂遺跡って教科書で習ったけど行った事ないよね」という
話しになったそうで、40代の大人たちが五人で「社会見学」です。


竪穴式住居

こちらは住居群に隣接する水田跡。
かなりの広さにびっくりしました。

この水田跡の一部を使って田植え体験もできるそうです。
残念ながらこの日は月曜日で登呂博物館は休館日でしたが
教科書で学んだ登呂遺跡、40年近い時を経ての楽しい社会見学でした。

水田には水路も掘ってありました。
葦が風に揺れるなか、子供たちがザリガニ採りに興じていました。
童心に帰ったひとときでした。
46の手習い info
去る5月6日、生まれてはじめての体験をしました。
G?つつじ賞争奪戦開催中のボートレース津へお邪魔しました。
東海ラジオ野球解説者、井上一樹さんトークショーの司会です。
実はボートレース場に足を踏み入れるのは生まれて初めて。
控え室である来賓室へ案内して頂きました。
テレビ番組で何度か見たことがある来賓室、ちょっと興奮です。

モータープールが一望できます。
また、急な階段がついていてここを降りると正にガラスかぶりつきで
観戦できる席まで。
競艇初心者の私は専門誌の読み方から勉強です。

競馬新聞とは全く違う・・・。
実は競艇大好きという井上先生にレクチャーを受けつつ舟券購入。
来賓室エリアにもしっかり投票所があります。
競馬場には報道フロアにもありますから珍しいことではないのですが
よく出来ているものです。
いよいよレーススタート!
いったんプール中央付近のポールまで来たところでスタートのポジション争い。
ゆっくりとした動きで相手の出方を伺います。
大時計の針が0になると、ガラス張りで窓のない来賓席にまで響くエンジン音で
ボートが水の上を走ります。



プールを3周してゴール。
残念ながらビギナーズラックもなく、井上さんも一進一退。
あ、もちろんトークショーは2ステージしっかりと勤めました。
こちらの模様は青山ANにおまかせするとして・・・。
お暇する直前まで二人で熱くなりましたが
結局二人とも残念な結果に。
やはり簡単にいくものではありませんでした。
さて、仕事で疲れたのかレースで疲れたのか微妙な疲労感の中
近鉄津駅で電車を待っているとき、隣のJR津駅に入ってきた列車が
こちらです。

1959年に国鉄気動車の標準色として設定された朱色とクリーム色ツートンカラーの
キハ48です。
あまりの懐かしさに思わずシャッターを切りました。
このキハ48はJR東海が「国鉄色」復刻で塗りなおした一両です。
非電化路線沿線に住んでいた人にとっては懐かしい塗装です。
ちなみにキハ48が世に出たときには国鉄の経営悪化で経費削減され
朱色一色の「首都圏色」といわれる塗装だったのでこの色ではなかったのですが。