青春"41"きっぷの旅(2) 定期列車
のりなおし≫青春"41"きっぷの旅(1)
18きっぷ3回目は妻が大阪往復で使い、残るは2回。
使用期限は4月10日。最後の土日で使わなければ。
嵐の予報を聴きながら、時刻表のページを繰る。
4月6日、9時05分名古屋発の関西線快速で亀山へ。
紀勢線のディーゼルカーに乗り換えると雨が降り出した。
10時56分松阪着。近鉄なら1時間だがこんな旅も趣深い。
肉うどんを所望。冷えた身体に染みわたる。
初乗りとなる名松線。11時19分発に乗り込む。
途中の家城でこちらも初体験の代行バスに乗り継ぐ。
終点の伊勢奥津までは2009年の台風による不通区間。
廃止も検討されたが、2016年度の運転再開を目指す。
18年ぶりに訪れた伊勢奥津、立派な駅舎が建っていた。
平成の大合併で美杉村だったこの場所も津市に。
市の出張所を兼ねた建物に、名松線復旧を願う看板を見る。
木の香ただよう待合室で、強さを増した雨風をしのぐ。
訪問者たちが綴ったノートが20冊。ざっと15年分はある。
地元ファンの好意と全国のファンの思い出が交差する。
列車は来ないが、ここは間違いなく「駅」だ。
見つけた。
深夜番組「流石の源石」でリスナーに出した指令の痕を。
2007年から2013年、無人駅を介した6年越しの対話。
ホームには桜と給水塔。蒸気機関車時代の名残だ。
こちらの対話はもっと長いことだろう。
雨脚はますます強くなり、街道脇の桜も揺れる。
ところで「名松線」の名称は松阪と名張にちなむ。
しかし伊勢奥津から名張までは建設されなかった。
途絶えた夢の跡をバスが結ぶが、1日わずか1往復。
それも朝7時台、列車の接続を待たずに出てしまう。
ふとバス停に掲げられた臨時の時刻表に目が止まる。
4月6日から…乗れる!三多気の桜に感謝。
とはいえこの天気。バスは本当に来るのだろうか?
台風で不通になるくらいだから心細いがそこは賭け。
松阪駅で買っておいた元祖特選牛肉弁当を一人ほおばる。
冷めてもやわらかい肉と甘辛いたれは飯にも酒にも合う。
果たしてバスは来た。なんと頼もしいことか。
雨を突いてバスは行く。乗客は一人。
伊勢本街道の面影に徒歩で行き交った往年を偲び、
急峻な地形を縫う道に名松線未成の理由を悟る。
途中奈良県の御杖村に入り、敷津という地でバスを替わる。
人懐っこい運転手の問わず語りを聞きながら名張川に沿う。
名古屋では散った桜もここでは満開。
「窓拭くか?」タオルを差し出すタイミングがうれしい。
500本が咲き誇るという三多気の桜の見ごろは少し先とのこと。
臨時バスは4月21日まで運行している。
16時前名張駅着。「名松線」を補完し近鉄に乗り換える。
もはや18きっぷは関係なくなってきた。
伊賀上野に抜け関西線に乗ろうと思ったが接続が悪く諦めた。
名古屋へ直行せず松阪に戻る。駅には紀勢線不通の告知。
紀伊半島一周も計画していたが、選択しなくて正解だった。
17時24分発の快速みえで18きっぷの旅再開。
近鉄と激しく競り合いながら名古屋を目指す。
仕上げはテツノミクス。疲れたが翌日も乗り鉄飲み鉄。
のりつぎ≫(3)で完結!