大人になるということ2013 定期列車
成人式シーズンになると必ず行くところがある。
愛知県犬山市。今年で13年目になる。
市主催の「成人式」を廃止したのが2000年末。
“荒れる成人式”が社会問題になりはじめた頃だ。
以来犬山市では新成人が主体となり、
パーティー形式、会費制の「新成人の集い」を開いている。
今年も1月13日に行われた。
乾杯あり、よさこいソーランあり、漫才あり、市長の挨拶あり。
恩師の登場もあれば、ビンゴ大会もある。とにかく何でもある。
根底にあるのは、新成人が互いに成長を祝いあうこと。
企画、運営は新成人たちで組織された実行委員会。
半年間、話しあい、悩みあい、ぶつかりあってこの日に臨んだ。
一度限りで手探りだが、毎年その代にしか出せない色が出る。
最近は過去の実行委員有志たちがバックアップしている。
今年は664人中541人の新成人が参加。8割を超える参加率だ。
2001年は700人超だったことを思うと、同じ会場だけに少子化を実感する。
一人ひとりの顔が「おぼこく」見えるのは自分が40歳を超えたせいであろう。
しかしマイクを向ければ流石に大人だ。
「大人の定義は?」との問に最も多かった答は「責任」。
これは大人の先輩たちが無責任であることの裏返しかとグサリとくる。
だが言おう。
「大人たちが責任の名においておまえを裏切ったとしても決して絶望するなよ」
大人歴21年。社会はいつも不完全な大人の集合体だ。
ラジオはそれを余すところなく伝えるメディアだ。
それにしてもなぜ毎年ここに来るのだろう。
転居先で迎えた自身の成人式は知り合いもなく形式的でつまらなかった。
それを埋め合わせるためだろうか。
毎年来ているから、途切れるとなんとなく気持ち悪いからだろうか。
いつも大人気ない自分に若い大人から喝を入れてもらうためだろうか。
不完全な大人の、年初恒例の通過儀礼は続く。
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