阪神淡路大震災から30年 定期列車
阪神淡路大震災から30年。
そのときあなたはどこで何をしていましたか。
それからあなたは何を思ってきましたか。
社会人デビューを控えた1995年1月17日、大学の卒業試験初日に襲った強い揺れ。試験は中止になり、学友や親戚に死者やけが人が出ました。辛くも難を逃れた話も聞きました。携帯電話もインターネットも緒に就きはじめた時代。メディアが伝える情報が頼りであり、メディアが伝えない情報に苛立ちを募らせていました。メディアで飯を食おうとする者にとっては十分すぎるほどの衝撃。その後の行動の規範になりましたが役に立っているかどうかは分かりません。
15年後の2010年1月17日、ラジオ関西の呼びかけでラジオ各局が集まり現場取材や意見交換。震災が終わっていないことを痛感しました。翌2011年には東日本大震災。どう伝えていいか分からないまま、前年会ったラジオ関西の林真一郎アナウンサーに電話。「規模が違いすぎる、原発事故がある、終息には時間がかかる」と違いを指摘、そのとおりになりました。2024年元日には能登半島地震。揺れに見舞われながら伝える経験を初めてしました。
これまで数々の災害が私たちの価値観を変え、アップデートを余儀なくされてきました。そして悲しいかなアップデート=答えではありません。痛い目に遭いながら被害を軽減することしかできません。頼りにされていたはずのメディアも震災を境に功罪を問われ、インターネットの台頭もあっていまや信頼の瀬戸際にあります。それでも前に進むことが、わずかながらであっても人びとの命を守ることにつながっていく。そう信じるしかないのです。
地震、台風、水害…さまざまな災害に立ち向かい、ときにはいなしながら知恵を身につけ、記憶の風化と戦うのが日本に暮らす者の宿命です。その宿命に向き合い寄り添うのが伝える者の役割ではないかと、近ごろ思うようになりました。もちろん答えではありませんが。これからもどうか安全にお過ごしください。