小倉智昭さん 定期列車
小倉智昭さん、お疲れさまでした。
「世界まるごとHOWマッチ」における七色のナレーションが子ども心に衝撃でした。その後彼の本職がアナウンサーと知り、吃音を克服した末東京12チャンネルに就職したこと、デビュー早々競馬中継で頭角を表したこと、すぐにフリーになったものの仕事がなく大橋巨泉に拾ってもらったことなどを知りました。僕がこの仕事を始めた1995年、ネットされていた文化放送「ニュースパレード」のキャスターが小倉さんでした。抑制の効いたストレートニュースは絶品。ここでようやく「アナウンサー小倉智昭」に焦点が合いました。
写真は2016年、「源石和輝音楽博覧会」のゲストとして共演したときのもの。上記の話を本人の口から聞くことができました。「同業者同士のインタビューってなんか不思議だねえ」と言いながらトークを楽しんでいる様子でした。膀胱がんを公表した直後でしたが、人生を楽しむ「覚悟」を感じました。背の高さも相まって「大きな」人でした。その後の病状、「とくダネ!」降板などは苦しく淋しかったことでしょう。しゃべった瞬間に消えゆくアナウンサーの世界。それでも彼はさまざまな角度で光を放ちながら私たちの記憶に残りました。たった一度の邂逅でしたが、そっとバトンを渡されたような心境です。どうかあちらでも硬軟自在のおしゃべりを届けてください。