過ちは繰り返さぬと言えるかな 定期列車
8時15分―
今年も西の空を望みました。
1945年夏、父は原爆投下1週間前まで広島市内の親戚宅に身を寄せていました。
悪さが過ぎて兵庫の自宅に追い返され難を逃れましたが、その後安否を尋ねに再度広島入り。
広島駅で見た「無」の光景は当時6歳の彼にどう映ったのでしょうか。
79歳でこの世を去るまでリアリストとして生きた原点だったように思えます。
明治維新から終戦まで77年、終戦から今年まで77年。
それぞれ三世代分の時が流れました。
近代国家建設からの挫折、平和国家建設からの憂鬱。
ウクライナとロシア、中国と台湾、自浄能力に疑問符がつく今の日本…
箍(たが)が緩みがちな「三代目」としてどう向き合えばよいのでしょうか。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
原爆死没者慰霊碑にはこうあります。
時が経てば人はまた過ちを犯すのでしょうか。
その自信が揺らぎそうな77年目、私たちは試されています。
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