戸田恵子らが寄せるサカエチカへの思い 名古屋っ子はなぜ地下街が好きなのか? 定期列車
東海ラジオとサカエチカ、20年ぶりのコラボレーションとなる特別番組『サカエチカが好きだがね!~名古屋で50年愛されるワケ~』(5月25日土曜15:00-15:45)が放送される。4月6日、1999年まで東海ラジオのサテライトスタジオ「日産ギャラリー」があった場所で、いずれも同スタジオにゆかりがある俳優・声優・ナレーターで『三菱電機プレゼンツ 戸田恵子 オトナクオリティ』(日曜11:30-12:00)パーソナリティの戸田恵子さん、タレント・マジシャンで『タクマ・神野のどーゆーふー』(月-金曜9:00-12:00)パーソナリティのタクマさん、東海ラジオアナウンサーで『源石和輝 ひるカフェ』(月-金曜12:00-13:00)パーソナリティの源石和輝によるトークショーが行われ、サカエチカの思い出を語り合った。番組ではこのトークショーのほか、1969年の開業当初からサカエチカを知る店舗関係者や常連客の声、『名古屋の喫茶店 完全版』など名古屋文化に関する著作で知られるフリーライターの大竹敏之さんによる考察を交え、名古屋における地下街文化の歴史と今後を探る。ナレーションは源石アナ。
「地下に出店がステータス」自動車ショールームも地下に 搬入は人力で
1969年、名古屋随一の繁華街栄の地下に開業した大規模地下街「サカエチカ」は総面積13,887平方メートル。日曜日には15万人を超える人出で賑わい、朝から晩まで迷子のアナウンスが途切れなかったほど。高額な保証金にもかかわらず地元店舗を中心に出店申し込みが殺到したとか。「栄の地下街に店を出すのがステータスでした」と開業時からうなぎ店を構える桑原幸秀さんは証言する。フリーライターの大竹さんは「モータリゼーションを全国に先駆けて予見し、地上はクルマ、地下は歩行者の安全を確保する背景があったと思います」。自動車のショールームである日産ギャラリーが地下に設けられたのもその一環とみられる。新車の搬入は主に閉店間際の夜間に行われ、ガソリンを抜きエンジンを切った車が人力で押されるようすの目撃談も番組で聴くことができる。
老舗百貨店の閉店で地下街に変化が…キーワードは「人」
「名古屋人は百貨店が好きじゃないですか。百貨店との直結も地下街好きの原因かもしれないですね」とも語る大竹さん。2018年、サカエチカに直結していた丸栄百貨店が閉店。「おじいおばあが通らんくなった」と嘆く声の一方で「若い人が目立つようになった」と驚く声もあるのが興味深い。2000年以降、名駅(名古屋駅)地区の再開発で買物客が流れたのも栄の人通りを大きく変える要因となっている。昭和から平成、平成から令和に変わり、転換点を迎える開業50年のサカエチカにとっては今がまさに正念場。サカエチカ名店会の元会長澤木孝夫さんは店舗と客の一体感を高めるため「あいさつ運動」を展開。初めは嫌がっていた店舗側も徐々に声を出すようになり、「そのうち応援者も出てきた。サカエチカに出店したいという人も出てきた」と手ごたえを感じているようだ。買物客だけでなく地下通路として通過されることも多いのが地下街の宿命。それでも「キーワードは『人』。物をいかに買っていただくかよりイベントなどの積み重ねで地元の人に愛される地下街になってほしい」と澤木さんは力を込める。開業当時からサカエチカを愛する人たちと最近増えた若い人たち。大竹さんは「ターゲットは決めないほうがいい。名古屋の人が親しみを感じるお店こそがよそから来た人に価値がある」と、普段着の名古屋をありのままに見せる場所が名古屋の地下街だと語る。近未来的なデザインにリニューアルしつつどこか懐かしさも感じるサカエチカ。半世紀かけて作り出した空気感は内装が変わっても愛されつづけることだろう。