戸田恵子「サカエチカは出会いの場」俳優への道を開いたサテライトスタジオ 定期列車
土曜13時、サカエチカ。この時間この場所に20年ぶりに東海ラジオが帰ってきた。4月6日に行われた名古屋・栄の地下街「サカエチカ」開業50周年と東海ラジオ開局60周年を記念したイベント。1999年まで東海ラジオのサテライトスタジオ「日産ギャラリー」があった場所に、ゆかりのある3人の声が響きわたる。俳優・声優・ナレーターで『三菱電機プレゼンツ 戸田恵子 オトナクオリティ』(日曜11:30-12:00)パーソナリティの戸田恵子さん、タレント・マジシャンで『タクマ・神野のどーゆーふー』(月-金曜9:00-12:00)パーソナリティのタクマさん、そして東海ラジオアナウンサーで『源石和輝 ひるカフェ』(月-金曜12:00-13:00)パーソナリティの源石和輝が第1部のトークショーに臨んだ。
戸田「野沢那智さんとの出会いが私を変えた」
名古屋市出身の戸田さんは16歳で上京し歌手「あゆ朱美(あけみ)」としてデビュー。東海ラジオでレギュラー番組『朱美の青春みぎひだり』のほか、日産ギャラリーの公開番組にゲストとして何度も出演した。そのときに出会った一人が1972年から77年まで『遊べ土曜日』パーソナリティを務めていた俳優の野沢那智さん。歌手として伸び悩む戸田さんに「舞台をやらないか」と自身の劇団「薔薇座」に誘った。戸田さんは厳しい稽古に耐え声優、俳優として花開く。まさに現在への道を開いた場所がサカエチカだったのである。タクマさんは1993年から97年まで平日午後の公開生放送『NORINORIあふたぁぬ~ん』を担当。橋幸夫さんがゲストのとき「舟木和夫さんでした」と送り出してしまい、後日おわびの手紙を書いたところ菓子折が送られてきたというエピソードを披露。会場は爆笑に包まれた。のちに妻となるみゆきさんと司会で共演したのもここである。源石は1998年から99年まで『ラジオテリアPM3』のパーソナリティ。99年3月31日、日産ギャラリー最後の放送を届けた。平日午後は学校帰りの高校生が多く、本番後は源石に深夜番組のネタハガキを手渡したり番組をめぐって激論を交わしたりする光景が見られた。それぞれにとってサカエチカは「出会いの場」であった。
タクマ「地上が静かで驚き、地下が賑やかでまた驚き」
奇しくも戸田さんとタクマさんには1957年生まれ、16歳で上京、芸能生活45周年という共通点が。初対面だったが話は大いに弾んだ。小学生のころからNHK児童劇団に所属して栄に通っていた戸田さんにとって「栄は庭みたいなもの」。1969年の開業間もないサカエチカの情景、現在まで続く老舗店舗のようすや最新店舗の傾向をつぶさに語った。一方兵庫県出身で1980年代に東京から名古屋へ来たタクマさんは「名古屋に着いたら地上が静かでびっくり。地下に降りると人がわんさかいてまたびっくり」。名古屋の地下街文化の感じ方の違いが際立った。会場となったサカエチカの中心クリスタル広場は旧日産ギャラリーに隣接。かつて噴水とクリスタルオブジェがあったが、開業50周年を機に黒を基調としたデザインのイベントスペースにリニューアル。今回のイベントでは当時を懐かしむ人から未来的なおしゃれな空間を楽しむ人まで老若男女で賑わった。待ち合わせの名所は形が変わった今も、人々が行き交い出会う場所のままである。
源石「マイクを握ると当時がよみがえる」
第2部は名古屋出身・在住のシンガーで『海蔵亮太 リョウタのカタチ』(日曜24:00-24:15)パーソナリティの海蔵亮太さんのトーク&ライブ、第3部は元中日ドラゴンズ選手で東海ラジオ野球解説者の井上一樹さんと東海ラジオ大澤広樹アナウンサーによる『大澤広樹のドラゴンズステーション』(月-金曜16:00-21:30)トークショーを開催。日産ギャラリーがあったドコモスマートフォンラウンジではradikoセミナーやパーソナリティとリスナーの交流などが繰り広げられた。リニューアル進行中でありながら床のタイルや柱の大理石に往時の面影が残るクリスタル広場周辺。源石は「たたずんでいるうちに当時の思い出が次から次によみがえった。またここでマイクを握りたい」と話す。土曜午後にもサカエチカから公開生放送を行っていた東海ラジオにとって、この日は20年ぶりに同じ時間と場所で賑わいと情報を発信した「記念日」。さまざまなアニバーサリーが交差する中で、過去を振り返るだけでなく次の60年に向けたヒントを見つけた一日になったのではないか。
第1部収録のもようは5月25日土曜15時、第2部は4月21日日曜24時からそれぞれ東海ラジオで放送される。