8509日 定期列車
1995年3月20日。
地下鉄サリン事件が起きた日は、
大学の卒業式だった。
空撮のテレビ映像に人々が群がっていた。
数日後、大須のマハーポーシャに強制捜査が入ると聞いて
朝まで飲んでフラフラの頭で現場へ行き、
恐る恐る取材の手伝いをしていた。
バブルは弾け阪神大震災に後ろ髪引かれながら地元を後にした。
震災の朝、ABC道上洋三アナはラジオで呼びかけた。
「もう会社も学校も行くのやめなはれ」。
思えばとんでもない時代に社会人を始めたものだ。
あれから23年半。
オウム幹部ら7人が死刑執行を受けた朝はradikoをはしごしていた。
手術で長期療養に入る道上アナが番組終了直前に第一報。
しかしメインはあくまで大雨情報だった。
RCCごぜん様さまもしかり。
名古屋の各局も。
テレビは軒並み死刑執行一色。
ラジオとの違いが際立った。
キー局のある東京で起きた事件だったというのもいまだ大きいだろう。
このあたり、1995年とさほど変わっていない。
NHKは両者のバランスを取っていたように思う。
ABCラジオではその後、
喜多ゆかりアナが1歳の娘を連れて生放送に臨んだ。
大雨で保育園が休みになったからだという。
社会を揺るがした事件の幕引きとも言える日に、
社会に柔らかな一石を投じる事件が起きた。
出来事を広く伝えるテレビ。
命を守り育むために寄り添うラジオ。
そうハッキリ役割が決まった一日だと思う。
2018年7月6日。