8月15日 定期列車
戦争をしないことと
なかったことにするのは違う。
したくない人はその記憶を忘れようとし、蘇ることを恐れる。
そう思わない人はその記憶を美化しようとし、退化することを恐れる。
日本は今、二つのせめぎあいの中にある。
背景には、戦争の記憶を持つ人の急速な減少がある。
2年前「いくさ遺産 村の言霊」を制作し、経験者たちの声を残した。
うち何人かがこの2年で亡くなったという。
急速に記憶が失われる恐れのようなものが、何かを突き動かす。
憲法改正の是非、贖罪意識からの脱却、自主独立の気概…
いずれも根っこにあるものは同じだが、思いの数だけベクトルが異なる。
それを束ねていた“経験”のタガが外れようとしているからだ。
そして自分に合わない意見は押さえ込もうとする。
あるいは互いの意見を聞かなかったことにしようとする。
どっちの意見が勝っているかが大事になってしまう。
でもそれが悪いことばかりだとは思わない。
来るべき“戦争を知らない世代だけの時代”に必要な通過儀礼だからだ。
決して必要十分とはいえない記憶から何を受け継ぎ、何を引き継ぐのか。
きょうはそんなことを考える日である。