G-enishi 定期列車
四十七歳の春だから…
先発≫四十二歳の春なのだ。
次発≫四十三歳の春なのだ。
次々発≫四十四歳の春なのだ。
次々々発≫四十五歳の春なのだ。
次々々々発≫四十六歳の春なのだ。
岐阜県各務原市の高家寺は通称“星の寺”。
またたく星と焚かれる火の粉が深紫の空に融けあいます。
護摩焚きのあとは火わたり。
かじかむ裸足に食い込む火種もまた涼し。
そして土のやわらかさをじかに感じます。
決して大きなお寺ではありませんが、行くたびに思わぬ人と出会う場所。
住職とあれこれ話をしていると、共通の知り合いが何人もいて驚きました。
そういえばこの1年、いろいろと世間が狭くなる出会いがあったなあ。
そこそこ齢を重ねてきて分かる、縁(えにし)が取り持つ愉しい出会い。
ふと思ったのがお寺って“メディア”なんですよね。
千年も昔からお経を得るため命がけで海を渡る。
大陸からはお経とともに文化や習慣も持ち帰る。
これってジャーナリズムの元祖なんじゃないかなと。
落語や講談もお寺から始まった娯楽。
見てきたあるいは見てきたような話を伝える場。
ラジオやテレビが生まれる前はこれが唯一の手段ですもんね。
これらの積み重ねが人と人の縁を育んできたといえるでしょう。
だからメディアの末席にいる者として
次の1年も縁を慈しみ、育みたいものです。
だって私、「G(慈)enishi(縁)」ですから。