ニュースがキュークツ 定期列車
古舘伊知郎、報道ステーション最後の日。
降板の理由は「ニュースが窮屈」でした。
のりかえ≫降板 2016年3月27日
「掟破りの逆サソリ」「セナの一人旅」「人類初の魚類」など、
プロレス、F1、水泳の実況に新感覚の表現をもたらした古舘さん。
リングサイドにファッション雑誌を持ち込んでことばを磨いた逸話も。
筋書きに出来事をフィットさせる新しいスタイルを確立したといえます。
「夜のヒットスタジオデラックス」など音楽番組の司会でも名を馳せました。
忌野清志郎と思しき人物率いるタイマーズが、生放送なのをいいことに
原発ソング発禁に抗議する放送禁止用語だらけの「FM東京の歌」を披露。
生放送で動揺しながらも軽妙にいなす古舘さんの姿が印象的でした。
民放出身アナウンサーで初めてNHK紅白歌合戦の司会を務めた快挙も。
一人しゃべりの舞台「トーキングブルース」を一度だけ観たことがあります。
セットのないステージで時事問題や日本人論など2時間ノンストップ。
鋭さ、よどみなさ、ことばの選び方。すべてに身震いしました。
アナウンサーを志した動機が「口下手を直すため」。
速射砲のようにことばを繰り出す裏に、ひたむきさと真面目さが伺えます。
テレビ朝日退職直前、フジテレビの「オレたちひょうきん族」で
覆面レスラーならぬ“覆面アナウンサー”としてプロレス実況を務めたことも。
1980年代、“過激”というキーワードは確かに彼のためにありました。
第1回の報ステで「ニュースキャスターについては素人」と言った古舘さん。
ニュース番組そのもののあり方を変え、最終回で「世論をミスリードした」とまで
言い切った久米宏さんの後釜というだけで、相当なプレッシャーだったでしょう。
等身大のキャスターを目指そうとして、自ら設けた枠にとらわれすぎたのでは?
真面目さと過激さのはざまで、ニュースを窮屈にしてしまったのかもしれません。
それだけに、終わりが見えてきてからの古舘さんは活き活きしていました。
毎日3分ぐらいフリートークの時間があってもよかったんじゃないかなぁと。
気軽なことばでニュースを伝えたかったがそうはいかないもどかしさ。
視聴者からの賛否両論の意見はボディーブローのように効いてきます。
「ニュースキャスターは孤独です」。最終回のことばが沁みました。
沁みたといえば江戸屋猫八さんの訃報の際、同じく癌で他界した自身の姉の話。
8年前、谷川明美アナの夭折が特集で取り上げられたときもその話に触れました。
悲しみの中にも優しい眼差しを湛えていたことが忘れられません。
その眼差しでもっとニュースに向き合いたかったんでしょうね。
物が言いにくくなるのは圧力も確かにありますが、
ニュースという“生きもの”を相手にしている以上
人びとの受け止め方は百人百様で、最終的には
自分と戦わざるを得ない状況に追い込まれます。
自分が矢面に立つには周りの協力も欠かせません。
そんな毎日を10年以上も積み重ねるのは大変なこと。
ラジオより“装置”が大きいテレビならなおさらでしょう。
自らビールで乾杯して「ニュースステーション」を去った久米宏さん。
5分間のトーキングブルースで「報道ステーション」を去った古舘伊知郎さん。
ニュースの型を変えた久米さんと、自分の型を模索した古舘さん。
それぞれの“らしい”ラストの中には、自身への労いがありました。
ニュースをキュークツにしないためにはどうすればいいか。
ニュースに携わる者として絶えず考察しつづけてゆくテーマです。