降板 定期列車
春は人が動く季節。
来る人あれば去る人もあり。
報道ステーションの古舘伊知郎さん、
クローズアップ現代の国谷裕子さん、
ゆうゆうワイドの大沢悠里さんなど、
長年番組を続けてきた人の
降板劇が話題になった今春でした。
円満にせよ不本意にせよ、しゃべり手にとって番組が終わるのは
寂しくて受け入れ難いものです。終わった後もしばらく続きます。
そのような境遇に置かれたとき、支えになるのは身近な人。
我が家の場合は支えられたり支えたりです。
報ステで観た、古舘さんとみのもんたさんの10分間に及ぶフリートーク。
同業者そして大学の先輩後輩の丁々発止のやりとりは愉しそうでした。
それでいて時間が来るとピタッと話を締めるプロ魂。しびれました。
普段からこうだったらよかったのにと思いつつ、終わるからできるんだよな…
廃止前の列車や路線が盛り上がる“葬式鉄”のようなジレンマを感じました。
メディアの基本は「人」です。
人に会い、人と話し、人を結ぶ。
たとえ表現する“場”が消えても、そこで培ったものは一生の財産。
だからメディアのことを“媒体”と呼ぶのです。
それでも次の“場”を探さないと、中の人にとっては死活問題。
だから焦り、うろたえ、時には吼えるのです。
それを“業”とは分かっているのですが、認めたくない“性”もあります。
件の報ステの会話でみのさんのことば。
「しゃべることに魅力を感じるアナウンサーにどんどん出てきてほしい」
もっともっとしゃべることを愉しむ。
“場”の大小や有無じゃないよと教えられた気がします。