パリの東洋人 定期列車
2003年、新婚旅行はパリだった。
極東からやってきた小柄な東洋人二人。
「花の都」のプレッシャーか、初めてのパリにビクビクしていた。
12月のパリは暗くて寒く、花の都には程遠かった。
雲は黒く低く垂れ込め、石畳の冷たさが靴底を通り抜ける。
コーヒー一杯の値段が分からないのでカフェに入れない。
カキの安全性が分からないのでオイスターの屋台にも入れない。
凱旋門は工事中で巨大な足場が見えるばかり。
それでも夜のシャンゼリゼ通りは華やかで、
どこからでも見えるエッフェル塔に上がれば
どこまでもパリの街を見渡すことができた。
表通りから一本入ると怖いくらいうらさびしいのがパリの夜。
300キロ離れたモンサンミッシェルから戻ると午後10時。
空腹を抱えるも表通りの灯は消え、仕方なく裏通りへ。
心細い道の先に一軒、仕舞いかけの中華料理店を見つけた。
中国系の店主は嫌な顔一つせず席を薦めてくれた。
ヨーロッパの中心でアジア人に会えた安堵感。
どんな料理か忘れたが、温かくて美味かった。
別の日、北駅で列車の遅れに見舞われた。
駅員に理由を尋ねてホームに戻ってくると、
背が高くて明るい中東系の青年が妻に話しかけている。
国を訊けばイラクだという。折りしもイラク戦争の最中だ。
「帰りたくはないが、いずれ帰らなければ」
屈託のない表情が、一瞬だけ愁いを帯びた。
そんなパリでテロが起きた。
ニュースは現場の恐怖や暴力への怒りを伝えている。
ネットは日本のメディアがニュースを伝えないことに苛立つ声や、
テロに抗議するためトリコロールに加工した顔写真であふれている。
いま湧き上がるのは恐怖や怒りではない。
エッフェル塔から見渡した一隅で起きたということ。
歩いたかもしれないあの場所で起きたということ。
遠い地の出来事ではあるが、他人事とは思えない。
大切なのはいかに自分に引き寄せて考えられるか。
引き寄せられないと自分の無知を声高に叫んで正当化し、
偏見と憎しみを増幅させてしまいそうだから。