二百二十日 定期列車
この表現は死語ではないようだ。
立春から数えて220日目にあたるのがきょう9月11日。
「二百十日」の9月1日ともども、農業の厄日である。
台風など自然災害に注意が必要とされている。
2000年9月11日は東海豪雨。
足もとを煙らせ、アスファルトをも穿つ雨音のけたたましさに恐怖した。
金山駅の公衆電話には長蛇の列。ケータイ普及後とは思えなかった。
2日後、西枇杷島の街を歩いた。
駅前のコンビニは棚卸しの後のよう。食品が腐り、商品が届かない。
新川の土手に逃れようとして動けなくなった車たちの錆びたブレーキ。
砂塵を巻き上げ異臭を運ぶ強い風に目を細め、咳き込みながら進む。
ようやく水は引いていたが、道はぬかるみ、草木は黒く汚れていた。
屋根で助けを求めた人が「話をしたい。うちに来てくれ」と呼び止める。
和室の畳はささくれ立ち、タンスやテレビが玄関でひっくり返っていた。
隣の飲食店では銀色の業務用冷蔵庫が厨房から入口まで動いていた。
翌2001年9月10日も台風が東海地方を襲った。
泊まり明けで名古屋駅から中継。タワーズの15階以上は雲の上だった。
その後西枇杷島に移動。役場の壁に1年前の水位が爪痕のように残る。
夜帰社した我々が目にしたのは、NYのWTCビルに次々突っ込む旅客機。
もう一晩泊り込み、翌朝まで米国同時テロのニュースを伝えつづけた。
そして2015年。
今まさに豪雨が北関東から東北を襲っている。
東海地方を直撃した台風がこのような形で被害をもたらすとは…
東日本大震災から4年半。
言葉もない状況を言葉で伝えるのは切ない、切ないが伝えねばならない。
嘘のような名古屋の青空を見ながら、この空を分けられないかと夢想する。