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ゲンカレチ 専務車掌 源石和輝

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またきてきたぐに 定期列車

のりかえ≫さよならさんびゃく
つくづく自分はバカだと思う。
趣味に生きる者共通のバカさ加減がそこにある。


さて新潟に来た目的はこれである。
こちらも3月17日のダイヤ改正で新幹線100系、300系同様姿を消す急行「きたぐに」。
夜行列車もレアならば、急行列車なのもレア。
昭和の国鉄テイストが、上越新幹線以上にぷんぷん漂ってくる。
しかも同日引退のブルートレイン「日本海」よりもニュースの扱いが小さいぞ!
とぷんぷんしてみる。
ではなぜ「日本海」ではなく「きたぐに」を選んだのか。


それは、使用する583系(581系)が生まれて初めて乗った寝台車だったから。
上越新幹線が開通した1982年、特急「明星5号」で大阪から博多まで家族旅行。
当時小学5年生。自ら時刻表で計画を立て、両親や妹を巻き込んだ。
そして「きたぐに」はこの車両を使った最後の列車。
今度は妻と息子を巻き込もうという、親子三代を股に掛けた魂胆である。
雨が冷たいが、ファンは熱い。


昭和42年から47年にかけて製造された583系は、
座席の組み立て方によって夜は寝台車、昼は座席車に変身するハイブリッドな車両。
機関車が引っ張る客車ではなく、電車でこのような設備を持ったのは世界初。
北は青森、南は鹿児島。つまり今の新幹線と同じくらいの守備範囲で活躍した。
名古屋にも特急「しらさぎ」や寝台特急「金星」(博多ゆき)として乗り入れている。

そんな昼夜兼行の働き者も、新幹線や航空網、
高速バスの整備に伴って夜行列車の需要が減少。
寝台組み立ての手間も災いし、50年代に入ると急速に働き場を失い、
多くの仲間が廃車や普通列車格下げの憂き目に。
高度経済成長下に生まれた583系は、オイルショックを境にお払い箱になったのだ。

それが経済成長期の香りを色濃く映す、今や青森~札幌間の「はまなす」とともに
「絶滅危惧種」の「急行列車」として生きてきたのは皮肉中の皮肉といえよう。
特急=特別急行以上に急行が「特別に」なってしまったこの時代に。

もとは大阪~青森間をまる一日かけて走る列車だった急行「日本海」は、
昭和43年にその名前を寝台特急に譲り、自らは「きたぐに」を名乗る。
当時は客車列車で、寝台車や座席車のほか食堂車も連結していたが、
47年に北陸トンネル内で30人が死亡する火災を起こし、外された。
57年には大阪~新潟間に短縮され、今の車両を使うようになったのは60年から。
最終や始発の新幹線に接続し、途中駅にもこまめに停まるダイヤが重宝された。
寝台も座席もあるという古き佳き夜行列車の需要が、
583系のハイブリッドな特長を今日まで活かすことになったのだ。

まさに鉄道戦後史の生き字引。
車両と列車、どちらの面から見ても数奇な運命をたどったことが分かるだろう。


22時27分入線。発車まで30分あまり、車内探検を楽しもう。
通常は10両編成だが、この日は12両と少し長め。
こちらは普通座席車。向かい合わせの固定座席だが足元は広い。全4両。
網棚の上に格納されているのがベッドであるが、この列車では組み立てない。


組み立てるとこの形。B寝台車になる。全6両(通常は4両)。
三段ベッドなので、見上げても見下ろしてもかなりの迫力だ。


1両だけあるグリーン車。座席が進行方向に回転し、リクライニングする。
今は普通車でも当たり前のことが、グリーン車だけという時代があったのだ。
最初からベッドが装備されていないため、やたらに天井が高い。
それが豪華さや開放感を際立たせるが、少し落ち着かない気もする。


そしてこちらも1両しかないA寝台車。座席でいえばグリーン車に相当する。
二段ベッドなので、B寝台よりも高さに余裕がある。
このA寝台、きたぐにのために特別に作られた仕様だ。


そんな特別なA寝台で大阪まで行く。新潟発、22時58分。
森田芳光監督の遺作ではないが、「僕達急行~A寝台で行こう~」!


「ロ」はイロハのロで旧二等車(現グリーン車)、「ネ」は寝台車を表す記号。
「ロネ」はA寝台車を表すことになる。「ロネでネロ」というわけだ。


一両に28しかないベッドを2つ確保。
下段より狭い上段しか取れなかったが、この時期にしては上出来である。
座席なら持て余すほどの頭上空間も、寝台となるとシビアに響くのが分かる。
上段はしかし、この「アナグラ感」がたまらない。
もっとも、妻は梯子に難渋して一度転落するのだが。

スピーカーから鉄道唱歌のオルゴールが流れ、
車掌が慇懃な口調と柔らかい声で停車駅と到着時刻を案内する。
途中24の駅に丹念に停まるので聴きごたえがある。
夜中の車内放送がないこと、寝台車やグリーン車では照明を一部落とすこと、
その間の撮影はしないことなど、他の乗客への配慮を促すさまにも嫌味がない。
これらが旅の高揚感や安心感につながってゆく。

親子三人通路を挟み、合宿のような気分で時を過ごす。
「ネロ」と言われても眠れるはずがない。


…つもりだったが、新幹線の疲れもあってか、
新潟の地酒をちびりちびりやっているうち、
0時42分の柿崎の次が4時01分の福井になってしまった。
富山も金沢も夢の中。少し悔しいが、乗り心地のよさは格別であった。
寝るべきか起きるべきか。愛好家にとって夜行列車はジレンマの塊である。

寝ても覚めても汽車の中。
そんな幸せを味わえる空間は、日本にはもう数えるほどしかない。


京都を過ぎて起きてきた息子も、小窓に切り取られた景色をじっと見ている。
普段は饒舌なのに無言になるのは、集中して吸収している証だ。
今回の経験は、彼の心に何を残すのか。


2012年3月11日(日)
6時49分、大阪着。晴天だが身を切るように寒い。
大改装で水戸岡鋭治デザインの近代的なドーム屋根となった大阪駅だが、
老兵きたぐには意外によく似合う。
ともに夢を運ぶ駅であり、列車だからだろうか。
しかし夢の余韻もはかなく、数分で彼方へと走り去った。我々家族の影を残して。

※急行「きたぐに」、特急「日本海」とも今後は臨時列車として残る。


あれ?こんな車両、きたぐにについてたか?
のりつぎ≫きたぐにから南国へ

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