TKJR(2) 定期列車
10月1日。
東海道新幹線の知命は東京駅で祝す。
先発≫TKJR(1)
50年前のこの日一番列車が出発した19番ホームに立つ。
前夜の行状から6時には来られず、9時過ぎの来訪。
式典の片づけも済み、慌しい日常が戻っていた。
慌しい中にも整然としているのが車内清掃のプロたち。
折り返しの8分間で16両を磨く。世界が認めた神業だ。
そんなホームの先端にレンガ造りのレリーフがある。
「新幹線生みの親」十河信二国鉄総裁のものだ。
在来線複々線化の内部の声を押し切り広軌別線化を推進。
戦前の弾丸列車計画復活は世論の反発も招いたが
粘り強く説得を続け、着工からわずか5年で開業。
しかし建設費高騰の責任を取り開業前年に総裁辞任。
このホームで行われた式典に十河の姿はなかったが、
9年後の1973年、同じ場所にレリーフが建立された。
批判を恐れず信念を貫く姿勢に敬礼。
「一花開天下春」は十河の座右の銘である。
このハレの日に記念碑的作品に参加。うれしい限りだ。
のりかえ≫夢ノ超特急ニ便乗セヨ
いまや新幹線は全国に、そして世界に広がっている。
鉄道が現在も重要なインフラであることを示すものだ。
並行在来線問題や東京一極集中など課題も多い。
リニア中央新幹線が及ぼす影響も看過できない。
新幹線の功罪を乗り越えることが日本人の務めであり、
鉄道を愛する者の務めであると考える。
のりつぎ≫TKJR(3)