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ゲンカレチ 専務車掌 源石和輝

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青空、白球、甲子園。 定期列車

この三言で高校球児の本塁打を表現したアナウンサーがいた。
もはや詩人の域である。

8月12日の大垣日大(岐阜)対藤代(茨城)。
初回の8点差をひっくり返し、12-10で勝った大垣日大。
途中登板の滝野投手の白い歯はベンチに笑顔を呼びおこし、
泣きじゃくる藤代ナインを鼓舞する女子マネージャーの微笑みは
どれだけドラッガーを読んだってできない最強のマネジメントだった。
二つの若い笑顔に泣かされた43歳手前の中年男がここにいる。

43歳といえば坂本九が星になった歳。
日航ジャンボ機墜落事故から29年が経った。

当時中学2年生。
テレビの速報テロップはやがて報道特番に替わり、
カタカナの乗客名簿が夜中のブラウン管を占拠した。
520人分のカタカナ。
人命の重さが凝縮されている気がして恐怖した。
しかも事故の1年半前に搭乗したことがある便。
そのリアルさに夜も眠れなかった。
今も123便は欠番となっている。

8月6日、9日、12日、15日。
日本人が命に向き合う節目はこの時期3日おきに訪れる。
戦争の記憶は伝聞の域を出ないが、
リアルタイムで感じたことは今でも鮮明だ。
阪神大震災、地下鉄サリン事件、米国同時テロ、東日本大震災。
決して当事者ではないが、情報とともに生きることは
共有された記憶の中に自らをさらすことになる。

話を甲子園に戻す。

父曰く「子どもの頃は甲子園で泳いだ」
信じられないが戦後甲子園浜には海水浴場があり、
球場周辺には巨大なテニスコートが広がっていた。
海水浴場は埋立てられ、テニスコートは団地になったが。

阪神戦も一緒によく見た。そしてよく勝った。
劣勢で弱気になる隣の客を叱咤する父。
「まだまだ行ける!あきらめたらあきまへんで」
甲子園には魔物が棲むというが言霊も宿る。

スタンドへの通路をくぐる。
目には青い空、白い雲、緑の芝生、黒い土、黄色いスタンド。
耳にはグラウンドの底から地鳴りのように湧き上がる声援。
肌には潮の香を運ぶ浜風、六甲山に沈みゆく夕陽。
これらが球場という一つの額縁に収まる。
独占しているかのような贅沢さがたまらない。

青空も白球も。
どんなスケールでも受け入れる。
それが甲子園。

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