19950117 定期列車
阪神淡路大震災から19年が経った。
2010年のこの日、神戸市中央区の東遊園地を訪ねた。
身を切る寒さの中、ロウソクの灯が暖かかった。
長田区の街並み。新しさが際立っていた。
あれから4年。少しは変わっただろうか。
焼け焦げた電柱はそのままだろうか。
1月17日は卒業試験初日、卒業式の3月20日には地下鉄サリン事件。
未曽有の出来事を経て社会人を、アナウンサーを始めた1995年。
就職氷河期といわれながらも巷にはバブルの余韻が残り、
携帯電話やインターネットがじわじわと裾野を広げていた。
ヒット曲は歌う。「何が起きても変じゃない、そんな時代さ」。
銀行が潰れ、NYでテロが起き、東北が揺れ、原発が爆発した。
そんな時代を19年も生きている。
神戸が揺れた日、わずか30キロ東の大阪はほぼ無傷だった。
己の無事を感謝しつつ、己の無力に忸怩たる思いがした。
忸怩たるまま大阪を離れた。そして時折無力を嘆く。
「失われた20年」。経済の世界では言う。
昔からの価値観が一変し、給料は右肩下がり。
それでも「失われた」とは思いたくない自分がいる。
何かの役に立ちたい!誰かの役に立ちたい!
そう思ってジタバタして結局何もできていやしない。
だったら一度リセットしてみようか。
さだまさしさんがこの日に寄せたことばがストンと落ちた。
「がんばらない あきらめない 夢を捨てない」
19年前は「がんばろう」だった。
長崎原爆、普賢岳噴火、東日本大震災を経てたどり着いた表現だろう。
「がんばろう」から「がんばらない」へ。
がんばりすぎておかしくなったことがあふれている今。
「怠ける」とも違うこの響きこそ、この20年で得たものではないか。