ミニの日 定期列車
鉄道ばなしばかりしてきたので、ここらでクルマの話を。
3月2日は「ミニの日」。現行ミニになって10年のお祝いが行われたようです。
わが相棒、ミニクーパー(旧、1992年式)はこのとおり。
親戚宅で二十歳を迎えました。おや?なんか変だぞ。
ええ、ナンバー外しちゃいました。
自動車税とか保険とか車検とか、結構大変なんすよ。
これまでどおり、時々エンジンをかけながら動態保存します。
エンジンぶるぶる絶好調!と言いたいところですが、
プラグがかぶっているのか、なんか変な音がしますし黒い煙も出てきます。
再びナンバーがつけられるよう、稼ぐどー!
稼ぐ前に不肖源石、休みます。
3月12日(月)~16日(金)の「源石和輝モルゲン!!」は代打週間。
気になる顔ぶれとともに、変わらぬご愛顧をお願いします。
大阪鉄分補給旅(4) 定期列車
大阪鉄分補給旅、完結編です。
のりかえ≫大阪鉄分補給旅(1)
のりかえ≫大阪鉄分補給旅(2)
のりかえ≫大阪鉄分補給旅(3)
浜寺から電車を乗り継ぎやってきたのは南海汐見橋線。
明治から昭和にタイムスリップ…感覚がおかしくなってきました。
細いレール、短いホーム、踏切。ここが大阪市内だと言っても信じてもらえるでしょうか。
起点駅、汐見橋に到着。難波から西へわずか1キロにある「秘境駅」です。
駅名標の書体に時代を感じます。ベンチ広告のパチンコ店、電話番号が二桁足りません。
ホームは2番線まで。植込みの手入れが行き届いています。
自動改札こそありますが、どう見ても都会の雰囲気にあらず。
改札の上に掲げられた南海の路線案内図。昭和30年代で止まっています。
めくれた箇所を修復するでもなし、撤去するでもなし。
時代に取り残されたのではなく、時代を置き去りにしてきたかのよう。
それが都心の秘境駅でありつづけた所以でしょう。
高野山に向かう路線の起点として設けられたものの、ほどなく難波駅に機能を譲り数十年。
3年前に難波から伸びてきた阪神電車の駅名も、汐見橋ではなく「桜川」を名乗ります。
ここに来たのは昭和63年以来。周囲の環境が変わっても、孤高のターミナルは不変でした。
大阪鉄分補給旅(3) 定期列車
のりかえ≫大阪鉄分補給旅(1)
のりかえ≫大阪鉄分補給旅(2)
路面電車、阪堺電軌の浜寺駅前。何の「駅前」かというと…
南海電車の浜寺公園駅。
明治40(1907)年建築の私鉄最古の駅舎。国の登録有形文化財です。
設計はレンガ造りの東京駅と同じ辰野金吾。しかも東京駅より古い!
高級住宅街、かつての海浜リゾート地の玄関口にふさわしい佇まいです。
駅舎向かって右の一等待合室は、ギャラリーとして市民に開放されています。
暖炉や椅子は当時のまま。
柱のくびれが織りなすシルエット。冷たい外気もやわらかくします。
反対側の東口駅舎もコンパクトながらモダーン。
書体もモダーン。萌えました。
上りホームは通過線の途中から待避線が分岐する珍しい構造。
高架化が決まったため、まもなく見納めとなります。駅舎は残すとのこと。
のりつぎ≫大阪鉄分補給旅(4)
大阪鉄分補給旅(2) 定期列車
のりかえ≫大阪鉄分補給旅(1)
鉄道人道橋「赤川鉄橋」を渡り終えると、近くに住む学生時代の先輩に遭遇。
Twitterでつぶやいていたのをたまたま目にして駆けつけたとのこと。
数年ぶりの出会いに感謝しつつ、厚かましくも所用の車で次の目的地まで送ってもらいました。
阪堺電気軌道恵美須町駅。大阪と堺を結ぶ、府下唯一の路面電車です。
かつては南海電鉄の傘下にあったため…ではないでしょうが、
駅頭では南海ホークスのユニフォームを着たファンたちがオフ会を開いていました。
開業100周年。この車両も昭和3年製の古豪です。
吊掛モーターをうならせ切り取る下町の日常。一幅の画です。
新鋭の車両に乗り換えて大和川を渡り、堺市へ。
大阪市内とは打って変わって近代的な街並み。別の路線のようです。
大阪都構想の両輪は、これを見る限りなかなか対照的です。
終点浜寺駅前で見たペインティング車両。
ともに100周年を迎えた東京都電との友好を示す、旧都電カラーです。
ある意味先取り?
車内は貸切で酒宴が…
豊橋鉄道のおでんしゃを思い出しました。
のりつぎ≫大阪鉄分補給旅(3)
大阪鉄分補給旅(1) 定期列車
2011年12月4日。同窓会の折、故郷大阪で鉄分補給してきました。
梅田から“ソウルトレイン”阪急電車で淡路へ。
ハイソなイメージの阪急にあって、ここと十三の醸し出す雰囲気は別格です。
商店街から見えるのは観光列車「京とれいん」。
乗りたい気持ちを抑え、アーケードを抜けます。
周りに気いつけて歩くこと15分。
淀川に架かる長い橋が見えてきました。
一見何の変哲もない鉄橋ですが…
複線分の右側が鉄道橋、左側が人道橋という変わりダネ。
通称「赤川鉄橋」はJRの貨物専用線のために作られたもので、
余った単線分の敷地を地元住民に開放するというまさに「人道的」配慮。
歩く人、走る人、自転車の人、ベビーカーの人、運動の人、練習の人が頻繁に行き交っていました。
鉄橋といいながら、人道部分は木でできているのがポイント。
昼下がりの陽光に、梅田のビル群がキラキラしていました。
あいにく列車とはすれ違いませんでしたが、なかなか見られない景色に大満足です。
淀川を歩いて渡るのは初めてのこと。
旅客化、複線化の工事も進んでおり、この光景が見られるのはそう長くはないようです。
のりつぎ≫大阪鉄分補給旅(2)