ルーツを訪ねて どうってこともないけどさ・・・
夏休みの帰省の際、千葉県松戸、流山へドライブ。
目的は「安蒜」姓の発祥地見学。
わが子たちの「自分達とお父さんの親戚以外に安蒜っているの?」という問いがきっかけ。
写真は松戸市文化財の安蒜家長屋門。
市HPによると
『天保11年(1840)築。下総地方西部の長屋門のうちでは、最も古いものの一つで、
松戸市内に現存する長屋門の中でも規模が大きく、
江戸末期の建築技術を伝えるものとして貴重なもの。』とのこと。
とはいえ、個人の私有地。外から拝見。
松戸市と流山市では、いくつか「安蒜」と名のつく家や店を発見できた。
しかし、かなりの昔にこの地との縁は切れているので、いきなり訪ねるわけにもいかず。
でもきっとどこかで必ず血はつながっているはずで、似ている人がいるのだろう。
いつかどこかで、出会えればうれしい。
その翌日、都内へドライブ。
有名観光スポットからちょっと離れたとある街で突然発見した「安蒜さん」。
古くから商売を営んでいるらしいが、その日は休業。
残念、開いていれば買い物がてらお話ができたのに・・・。
岩手県大船渡・陸前高田へ② どうってこともないけどさ・・・
8月18日~19日、東日本大震災による津波で大きな被害がでた大船渡市と陸前高田市を訪れた。
原アナと同行、地元紙・東海新報社記者の木下繁喜さんに案内していただいた。
今は、跡形もない大船渡駅から海側を見る。
港のすぐそばに今回宿泊したホテルがある。
大きな被害を受け、裏の建物がそのままたが、営業再開。快適なホテルだった。
隣は地元スーパー「マイヤ」。この店舗は廃墟のまま。
しかし、16店舗を展開するこの「マイヤ」。
6店舗が壊滅したものの、就業中の従業員とお客さんの死亡者はゼロだった。
実戦的な訓練と、過去の災害で被災した同業社とのマニュアル共有が活かされた。
数億円をかけ、情報共有システムや地震保険加入を社長の決断で実行した。
結果、7月までに全店舗(仮店舗含め)復活。
「地元スーパーとして地域貢献しなければという意志とプライドがあった」と米谷社長。
ホテル自室から見える光景。
自力で新築し、商売を始めている店舗もあれば、まだそのままの店舗も。
ここに港関連の施設や店舗・住宅など街があった。
目印になる建物がなくなってしまったので、地元の人でも運転しずらい。
夜になるとかなり暗い。
自宅の跡で説明してくれる木下さん。ここで海から1㌔あまり。
かつては、建物があったので、海は見えなかったが、今は見える。
まさかここまでくるとは、ご近所のみなさんんも考えてもみなかったそうだ。
ところが、道をはさんだ山側のGSのこのラインまで津波が襲い、
流された車、コンテナ、破壊された建物の残骸が家々を破壊していったそうだ。
津波が川を遡上してきた。これも相当危険を感じたそうだ。
木下さんは車を捨てて、必死で走り助かった。
「復興居酒屋」は、満席。仮設商店街も暮らしを支えようと営業中。
大船渡駅から。離れて見ると、まだまだ「点」であることがわかる。
大中仮設団地。
木下さんの比較的ご近所のコミュニティのみなさんが入居している。
全国から今も寄せられている支援と住民をつなぐボランティアの母親チームに、話を聞いた。
先が見えない不安、子供の存在が支えになったこと、復興についての意見の相違があること、
支援への感謝の気持ち。
その前向きさに心打たれ、涙が出た。
でも、彼女たちの笑顔は、想像もできない悲しみや苦しみがあってのものだろう。
とても魅力的な方々だった。 頭が下がる。
このような被災地での見聞を踏まえて、
東海ラジオでは、9月1日(土) 防災の日、午後3時から「地震防災スペシャル」を放送します。
東海新報社記者木下繁喜さん、日本気象協会新井伸夫さんをゲストにお迎えし、
山崎聡子アナと私で進行していきます。
番組では、リスナーのみなさんからのメッセージを募集しています。
「あなたは、地震に対して『どんな備えをしていますか』」
あるいは「備えていない方は『なぜ備えないのか』」教えてください。
宛先
E‐mailは jishin@tokairadio.co.jp(じしん・・・)
ファックスは 052 961 0077
いずれも「東海ラジオ地震防災スペシャル」です。
岩手県大船渡・陸前高田へ① どうってこともないけどさ・・・
8月18日~19日、東日本大震災による津波で大きな被害がでた大船渡市と陸前高田市を訪れた。
原アナと同行、地元紙・東海新報社記者の木下繁喜さんに案内していただいた。
陸前高田駅前から。撮影している私は、線路がないホームに立っている。
駅舎も街も何も残っていない。夏草が茂っている。
かつて撮影された写真と比べてみる。
がれきはほとんど撤去されているが、見回すと小高い丘がいくつかある。
がれきが積み上げられてできたものとのこと。
かつてここに街があった。
多くの職員が亡くなった市役所。
流されてきた車がロビー奥に残されている。
次々と遺族の方々が手を合わせにくる。
離れて立ちつくす私には言葉もない。そっと頭を垂れる。
「復興のシンボル」と呼ばれる「奇跡の一本松」。
多くの人々が訪れている。関西ナンバーの車も。
茶色くなり、ほぼ枯れている状態だが、これを保存するのかどうするのか。
さまざまな議論がされているとのこと。
このような被災地での見聞を踏まえて、
東海ラジオでは、9月1日(土) 防災の日、午後3時から「地震防災スペシャル」を放送します。
東海新報社記者木下繁喜さん、日本気象協会新井伸夫さんをゲストにお迎えし、
山崎聡子アナと私で進行していきます。
番組では、リスナーのみなさんからのメッセージを募集しています。
「あなたは、地震に対して『どんな備えをしていますか』」
あるいは「備えていない方は『なぜ備えないのか』」教えてください。
宛先
E‐mailは jishin@tokairadio.co.jp(じしん・・・)
ファックスは 052 961 0077
いずれも「東海ラジオ地震防災スペシャル」です。
「ウルトラマン・アート!」展 どうってこともないけどさ・・・
夏休みの帰省の際、埼玉県立近代美術館で開催中の企画展『ウルトラマン・アート!時代と創造 ウルトラマン&ウルトラセブン』に、すっかりウルトラマニアになってしまった息子と行ってきました。
この企画展は、「ウルトラマンや怪獣のデザイン画のほか、立体の造形物、撮影当時の貴重な記録写真、怪獣フィギュアなど約400点の展示を通して、『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』の世界をアートの視点から検証する。」というもの。
テレビの美術番組で見て以来、是非見てみたいと思っていました。
まず、入場すると撮影可能エリア。ウルトラマンやバルタン星人のスーツや、科特隊のビートルの精巧なモデルがお出迎え。
さらに進むと、ウルトラセブンの世界へ。背後にビラ星人の気配が・・・・・。
おおっ!!! そこにいらっしゃるのは、セブン様ではございませんか!
あなたとともに戦うことが夢でした。僕はモロボシ・ダンになりたかった。
そして、メトロン星人とちゃぶ台越しに対峙するあの名シーンを体験できるのです。
「君たちの計画は全て暴露された。おとなしく降伏しろ」
地球人の相互不信を煽り、自滅させようとしたメトロン星人。
今、現実の世界は彼らの思うようになってはいないか?
この他、撮影に使われたゴモラの頭部や、科特隊・ウルトラ警備隊の制服、台本など貴重な品々が見られます。また、怪獣・星人のデザイン画を見ると、あらためて「芸術」であることを実感できます。当時の新進気鋭のクリエイターたちの情熱が伝わります。そして、CGではない手作りの造形を手掛けた職人技の一端にも触れられます。
この企画展「ウルトラマン・アート!」は、 埼玉県立近代美術館(北浦和駅から3分) ~09/02まで。そして高松市美術館では、2012/09/15~10/28開催ですから、首都圏や四国旅行の予定に組み込んでみてはいかがでしょうか。
※この記事にある写真は権利者の許諾を受けて掲載しています。
(C)円谷プロ
ナニワ一人旅③ どうってこともないけどさ・・・
新世界裏通りの居酒屋さんで心がほぐれた後は、今夜のねぐらへ。
ライトアップされた通天閣を背に徒歩10分。西成区の「あいりん地区」の簡易旅館。
1泊1600円。共同トイレ、大浴場あり。3畳一間で、エアコン、TV、扇風機付きの禁煙室。決して不潔でもなく、寝るだけならこれで充分。旅行情報の検索サイトでも、紹介されている。
特に危険な感じもなかったが、酔った高齢者が警官に助け起こされているところに出くわした。
母の実家から遠くないところに、東京・山谷があり、ここあいりん地区と似た光景を、こどもの頃によく見ていたから、特に驚くようなこともなかった。ただ、いろいろ報道されているように高齢化はかなりすすんでいるようで、杖や車いすの高齢者の姿が見受けられた。 切ない。
翌朝、早起き。甲子園球場へ。この日は夏の高校野球開会式。
特にファンというわけではないが、一度は見てみたいということで行ってみた。
周りは若いOBや選手の親族・関係者が多い。
「アイツうまくなったなぁー。」「あんなに小さかったあの子が立派になって・・(涙)。」
そんな会話が聞こえてくる。高校生の娘を持つ身として、すごく共感できた。
選手たちだけの甲子園じゃないんだねぇ。
3塁側アルプススタンド最上段。
看板が日よけになり、海からの風が心地よかったが、あっという間に太陽直撃。
名物かちわりのおかげで、なんとかしのげた。あぢぢぢーー。
第一試合を見て、みやげに子供たちの好物の豚まんを買い、帰路についた。
短い1泊2日のオヤジ旅。
一人でじっくり考える時間ができた。
そして、帰れるべき場所があることを改めて確認できた。