「ヤクザ」と「死刑囚」 定期列車
東海テレビ制作のドキュメンタリー映画
「ヤクザと憲法」「ふたりの死刑囚」
2本まとめて観てきました。(文中敬称略)
「ふたりの死刑囚」
死刑囚の袴田巖と奥西勝とその親族、支援者らを交互に映し出し、
釈放された者されざる者の対比と、再審されない共通点を描き出す。
47年ぶりに出所したばかりの袴田からは表情や感情が抜け落ち、
自宅に帰っても拘禁症状のため外に出るのが怖くて出られない。
一方、出られないまま獄死した奥西を代弁する妹や弁護人たち。
限りない絶望の淵に底光りしていたのは、かすかな希望だった。
皮肉とともにスクリーンは問う。自由とは何か?生きるとは何か?
「ヤクザと憲法」
登場人物はすべて本物のヤクザ。つまり“リアルヤクザ映画”だ。
超満員の観客のほとんどが60歳以上とおぼしき男性。
おそらく昔ヤクザ映画を見て肩をいからせ映画館を出てきた世代だろう。
ドンパチもない。指詰めもない。だけど迫力は途轍もない。現実だからだ。
しかしそれは暴対法のおかげで生活が苦しくても足を洗えないという現実。
ガサ入れする警察官のほうがヤクザより理不尽に見えてしまうという現実。
見終えた観客は誰一人肩をいからせていなかった。
二つの映画から見えてくる“この世の闇”。
前夜に「スターウォーズ」をおさらいしたこともあってか、
“何が正義か”“何が悪か”を軽々しく断じることの危うさを感じた。
闇はダークサイドだけではない。
氾濫する情報の隙間に潜む“見えないもの”“見せないもの”もだ。
それが見たいからこそ、平日昼から映画館に人が集まるのだろう。
見られたことは幸いであるが、見せることはメディアの使命でもある。
両作品とも監督は東海テレビの報道記者。
身近な人たちが果敢に挑む骨太なドキュメンタリー。
放送という一過性に終わらせず、映画という残る形にする心意気。
制作者の端くれとして大いに刺激を受け、想像力と創造力を喚起された。
静かな怒りと深い思索を授かる、飾らないエンタテインメントである。
■「ふたりの死刑囚」 土方宏史監督
■「ヤクザと憲法」 鎌田麗香監督
2月5日(金)まで 名古屋シネマテーク(今池)
2月3日(水)「キカナイデ!」に両監督出演