「鳥の道を越えて」 定期列車
ドキュメンタリー映画「鳥の道を越えて」。
第56回科学技術映像祭で内閣総理大臣賞に輝きました。
監督の今井友樹さんは、岐阜県東白川村の出身です。
6月20日、岐阜県羽島市。
歴史民族資料館・映画資料館で上映会が行われました。
もとは映画館だったところ。
壁の意匠が今の資料館にも受け継がれています。
ポスター、映写機、スピーカー、客席などが所狭しと展示。
映画に関する資料館は全国的にも珍しいそうです。
昭和の息吹が随所に!見どころ満載でした。
映写スペースもあり、月に1回程度上映会が開かれます。
「鳥の道を越えて」上映には140人が詰めかけ、椅子が足りないほど!
上映後の今井監督トークショーと質疑応答も白熱しました。
1979年、東白川村で生まれた今井さん。
祖父が山を指差し「山の向こうに『鳥の道』がある」と話したことが
大人になっても心の奥に引っかかっていました。
やがて東京で映像の仕事を始め、自分のカメラを持ったとき
祖父の言葉の謎を知ろうと初監督作品に臨んだのが8年前。
しかし彼は多くを語ろうとしませんでした。
それは「鳥の道」にカスミ網を仕掛ける猟が禁止されたから。
戦後すぐ、GHQによって地元の鳥猟文化を否定されたのです。
その後は“密猟”という形で細々と継続しながらやがて衰退へ。
それはどこか、戦争の記憶を語りたがらないまま伝わらず
現代まで来てしまった動きに符合します。
“海なし県”岐阜で貴重な蛋白源だった渡り鳥の命をいただく感謝の気持ち。
種類構わず貴重な野鳥を捕まえるのはかわいそうという動物愛護の精神。
両方の立場を取材するうちに今井監督は悩みます。
そして悩んだ気持ちをそのままスクリーンにぶつけます。
そこからさまざまな感想や意見が観客から沸きあがります。
同じく東白川村の戦争体験者を題材としたラジオドキュメンタリー
「いくさ遺産 村の言霊」を制作した際、監督と同じ悩みに見舞われました。
いろいろな形の事実に触れるほど、結論はつけられないのです。
そしてリアルタイムで事実を知らないがゆえの「次代へ伝えることの難しさ」。
場所も中身も悩みも共通点の多い作品に携わった者同士、
その後の話も大いに盛り上がりました。
のりかえ≫「いくさ遺産 村の言霊」とは
そこでふと思い当たりました。
次の世代へ伝えるというのは単に事実を言いっぱなしにするのではなく、
同じ題材を前にあらゆる世代の人間がともに考えることではないのかと。
その点では映画にしろラジオにしろ、課された役割は大きいはずです。
今井監督との邂逅で、大きな刺激と勇気をいただきました。
翌日東白川村で開かれた朗読会「戦後70年〜私たちと戦争〜」。
「いくさ遺産 村の言霊」でも伝えた、記憶の伝承への取り組みです。
会場は60人を超える村人たちであふれかえったとのこと。
人口2280のうち60人ということは、228万の名古屋市なら6万人!
ナゴヤドームでさえ収容しきれません。
のりかえ≫朗読会は10月、11月にも
これだけの人が記憶を共有すれば、
伝承の難しさを和らげてゆくことができるのではないでしょうか。
「山の向こう」に何かが見えたような思いです。
■映画「鳥の道を越えて」
全国巡回上映中
のりかえ≫日程は公式サイトで