究極VS至高 定期列車
「福島で鼻血」
漫画「美味しんぼ」の表現をめぐる問題が、
新聞の社説を賑わすまでになった。
雑誌「ビッグコミックスピリッツ」に連載されてから30年。
うち15年分くらいは読んだだろうか。
主人公山岡士郎と父の美食家海原雄山の料理対決は
1980年代後半のグルメブームの火付け役になり、
「究極」ということばが流行語にもなった。
犬猿の仲だった父子が「和解」したときはそれが報道され、
久しぶりに作品を手に取った。
このように「美味しんぼ」は時折社会現象になる。
そして今回の騒動である。
当該の作品は読んでいないので論評しない。
いくら人気漫画でもリアルタイムでそれに触れた人は少ないだろう。
しかしこの盛り上がり。これは何かに似ている。
「35歳で羊水が腐る」
ラジオ番組の発言が独り歩きした、あの事件だ。
ラジオも雑誌も影響力はテレビやネットの比ではない。
それがテレビやネットで拡大再生産されるのが今のカタチだ。
とはいえあの事件も数年前。あれから何も変わっちゃいない。
ええじゃないか、文明開化、富国強兵、一億火の玉、
安保反対、所得倍増、学生運動、オイルショック、
バブル景気、再稼動反対、ヘイトスピーチ…
昔からな~んも変わっちゃいない。
僕らはいつも切り取りやすいコトガラをコトサラに広げ、
本質から離れたところで議論した気になる。
議論の的になっていることだけが情報だと思っている。
ターゲットを見つけて炎上させることがブームだと思っている。
決して自分では着火しない。誰かの着火を待つだけだ。
火が収まれば見向きもしない。
情報に乗り遅れたときどうするか。
①追いかける
②追い越す
③乗っからない
みんな③が怖いから乗っからずにはいられない。
そもそも情報とは動くものではなくそこにとどまっているもの。
自分が動いているから動いているように見えるだけである。
まるで天動説。
ガリレオになるのはいつの世もしんどい。
しんどいけどかろうじて踏ん張っている。
情報という火のそばにいる者として。
火をつけるべきは、付和雷同を旨とする僕らの精神にある。
ところで「美味しんぼ」の美食対決は「究極VS至高」と呼ばれた
東西新聞と帝都新聞、ライバル新聞社同士の対決でもあった。
今回の騒動、東西新聞と帝都新聞ならどういう社説にしただろうか。